https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

http://livedoor.blogimg.jp/joshiananews/imgs/9/b/9b77b195.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/joshiananews/imgs/1/4/14aa1d73.jpg

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20180909/1536490175(QAnon)

とうりものいわざれども、しもおのずからこみちをなす。

「李将軍列伝」最後の論賛部分で司馬遷が李将軍を評するのに使ったことわざ。「德のある人物のもとには、自然と人が集まってくる」ことの喩えとして用いられる。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20100423/1271980790(「いや違う。強い意思と行動力、徳を積めばたった一人でも社会をつくることができる」)

忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が討ち入り前日に心情をつづった手紙が残されていることが分かった。遺書に当たる「いとま乞い状」で、3日から徳島城博物館で展示される。1955年ごろに東京などで展示されていたが、その後、所在が分からなくなっており、約60年ぶりの公開。

 手紙は縦約17センチ、横約75センチ。日付は討ち入り前日の元禄15(1702)年12月13日付だった。徳島藩家老の子で、浪人中の大石に資金援助した三尾豁悟宛てだった。

 手紙には、討ち入りの経緯や決意が約50行にわたって記され「吉良邸に討ち入ることになった。志のある48人が妻子や親類の後難を顧みず、あだ討ちを行う所存」との記述もある。討ち入り直前に脱退した毛利小平太を含め48人としていた。

 手紙は東京などでの公開後、所在不明となっていたが、昨年3月、東京都内に住む三尾の子孫が、同博物館に寄託を依頼し、現存していることが分かった。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/29/200150

2015年
▽6月
22日 深夜にトルコから徒歩でシリア入り。ホブス工場に入れられる
23日 近くの民家に監禁
26日 深夜、車で移動し、集合住宅の地下牢に入れられる
29日 一戸建ての民家に移動

▽12月
7日 「日本に送るから個人情報を書け」と言われ書かされる

2016年
▽1月
6日 家族からの質問項目の答えを書かされる
16日 別の一戸建て民家に移動
19日 同じ質問項目の答えを再び書かされる

▽3月
15日 動画撮影

▽5月
9日 別の民家に移動
14日 ジャンダルマ?(憲兵隊?)拘束
23日 オレンジTシャツを着て、手書きメッセージを持って写真撮影

▽7月
10日 「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動

2017年
▽10月
17日 動画撮影(2018年7月22日報道)

2018年
▽3月
31日 ロの字型・平屋のトルキスタン部隊の施設に移動

▽6月
半ば 「ウマル」の動画撮影(7月17日報道)

▽7月
5日 イタリア人の囚人が同じ施設に入れられる
25日 「ウマル。韓国人」の動画撮影(7月31日報道)

▽9月
4日ころ 動画撮影(未公開?)
29日 「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動

▽10月
22日 一戸建て民家に移動
23日 「今からトルコ」と言われ車で移動したあと、トルコ情報機関の車に乗り換えてアンタキヤの入管施設に運ばれる

 ◆現地に入る方法を探っていたのですが、現地の組織にいくつか当たる中で、日本人の知人に紹介された、シリア難民の小学校を運営している人々と知り合いました。そこのシリア難民の紹介で、シリア人のガイドに知り合いました。

 彼は、イスラム国に殺害された後藤健二さんのガイドをしていた人です。後藤さんがイスラム国に拘束されて、ビデオが公開された時に、世界中で「I AM KENJI」と紙を掲げる運動が広まりましたが、彼もその運動をやっていました。

 トルコのアンタキヤで住んでいた彼が、顔を出してそういう行動をすることは一定のリスクがあるわけですが、彼はそういう行動をしていたということで、私は彼を信用しました。

 その案内をしていた2人組が「じゃあ、シリアに行こうか」と言ってきて。

 最初は、聞いている話と全然違う、と思ったのですが、これは自分でも分からないのですが、うーん、そういうものなんだろ、と思って、そちら側に入ってしまったんですね。これは自分でもおかしい、と思いながら、でも歩き続けてしまった。

be-here-now.cocolog-nifty.com

 その後の笹目秀和師には大苦難が待ち受けていました。戦後間もなくソ連兵に連行され、強制収容所に入れられたのです。
 それも普通の収容の仕方ではなく、厳寒の大晦日に最初入れられたのは、どんな人間でも3日で音(ね)を上げるという「水牢」なのです。早く言えば「水攻め」で、くるぶしまで水につかり放しという拷問です。寝台などなしで一日中その状態で立ち通し、夜はそのまま壁にもたれて寝るしかないのです。

 すぐに水につかった部分の感覚がなくなり何日か経つうちに腐りかけてきます。しかしこの拷問を笹目師は1ヶ月間耐え抜いたのです。それを可能にしたのが、シュロ神仙から教わった「太陽の精気を食(は)む法」でした。牢に一ヶ所30センチ四方の窓がありましたが、そこから1日3分間だけ太陽光線を受けて吸い込むだけで食事を全然与えられなくても生きられ、また全身に精気が循環し腐りかけた足も直ったというのです。
 いつまでも参らない笹目師を見て驚いたのがソ連の看守です。気味が悪くなったらしく水牢から開放してくれ、シベリアの強制収容所送りとなったのです。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20160827/1472294486(モンゴル神仙邂逅記)

官房長官は午後の記者会見で、「政府にとって邦人の安全確保は極めて重要な責務で、国民が危険にあった場合には可能なかぎり支援をしてきている。ただ現在、退避勧告渡航中止勧告が出ている危険な国・地域には、取材活動を含め、どのような目的であっても絶対に渡航を見合わせるようにお願いしている」と述べました。

また菅官房長官は、安田さんが記者会見で「拘束していた集団が日本側が金を払う用意があると言ってきた」と述べたことについて、「日本政府は、『国際テロ情報収集ユニット』を中心に関係国に協力を依頼し、さまざまな情報網を駆使して全力で対応に努めてきた。事案の性質上、詳細は差し控えたいが、いずれの場合にも身代金を払うことはない」と述べました。

 安田さんは、「退避勧告」が出ていたシリアに入った理由について、反政府勢力の支配地域であるイドリブ県を取材するためだったと説明。知人から、後藤健二さん(2015年に殺害)のガイドを務めたシリア人を紹介され、現地案内を依頼したという。

 15年6月22日深夜、トルコとシリアの国境の山岳地帯に入った。「車で迎えが来る」と言われていたが、ガイドがシリア側の様子を見に行っている間に、付近を通りかかった2人組に「シリアに行こうか」と声をかけられ、ついて行ってしまったという。約1時間歩くと、「ここが国境だ」と言われ、2人組の仲間に両腕をつかまれて車に乗せられ、拘束された。

 シリアに入った直後に拘束されたため、取材はできなかった。入国前の準備不足との指摘もあるが、安田さんは「彼(ガイド)を信用していた。ある程度、任せざるを得ない部分がある」と話し、今後の取材活動は「全くの白紙」と述べた。

日本国内で安田さんの行動について、「自己責任」という言葉とともに批判が出ていることに、安田さんは、「皆様に批判いただき、検証いただくのは当然のこと」、「紛争地のような場所に行く以上、当然、自己責任だと考えている」と話した。

安田純平さんは2時間半余りにわたった記者会見のあと、NHKのインタビューに応じました。

この中で安田さんは「皆様に時間をいただき、本当に概要だけだったがいくらか現地であったことについて説明することの責任の一端が果たせたのならうれしいと思う」と会見を振り返りました。

そのうえで、2日の会見で自分が拘束されていた場所の手がかりを少しでも伝えたいと、先月25日に帰国して以降、現地のシリア人などと連絡を取り合っていたことを明らかにしました。

安田さんは「生きて日本に帰ることを1度も諦めたことはなかったか」という質問に対し、「それはなかった」とはっきりとした口調で語りました。

そして、解放の直後、取材に対し「望まない解放のされ方だった」などと述べたことについては、「身柄の引き渡しという解放の形は何かしらの対価があったように見え、身代金が支払われたとしたら私はそれは望んでいなかった」と発言の真意を説明していました。

また、2日の会見の中で日本政府に感謝の気持ちを表したことについて、「武装勢力のメンバーから日本政府が連絡を絶ったということを聞いた時には、場合によって、その決定で私が殺されるかもしれないわけで、私のミスで政府の担当者が心に負担のある決定をしなければならなかったことを申し訳ないと思うし、そうしたことも含めて対応していただいたことに感謝している」と話していました。

一方、「自己責任」をめぐってさまざまな意見が出ていることについては、「当事者なので私自身が何かを言うことは妥当であるのか悩んでいる」としながらも、ジャーナリストが紛争地帯などの現状を伝える意義については、「日本から離れた場所でも、そこにいる人たちがどんな状態にいるのか想像すること、共感することは必要なことだと私は思っている。関係ないと思っていても実は関係があり、当たり前の生活ができていない人もいることに共感することを私はしたいと思っているし、それができるような情報を提供したいと思い、この仕事をしている」と話していました。

そして、「今回の私の行動について検証、批判をしていただくのは当然だと思うし、同時にそういう現場があることにも関心を進めてもらえるとありがたいと思う。そのために私が持っているかぎりのものは提供していきたいと思っている」と話していました。

私自身の行動によって、日本政府ならびに多くの皆様に、ご迷惑おかけした事もあるので、私自身に対して批判があるのは当然のことであると考えています。何があったのかという事も含めて、みなさまに批判や検証いただくのは当然だと思っておりますので、特に私の側から疑問はないです。

ただ、(批判が)事実に基づかないものというのもあるように思いますので、あくまでも事実に基づいたものでやっていただきたい、というお願いはあります。

自己責任については、当事者の私が述べるのは、非常に言いづらいものがあるのですが、紛争地という場所に行く以上は、当然、自己責任と考えています。紛争地において、日本政府が何かしらの救出するのは非常に厳しい環境にある。だからこそ、政府は退避勧告を出している。

そこにあえて入ってく以上、相応の準備をし、何か起きた場合は自分で引き受ける態勢と、心の準備をして入るものだと思います。そういった中で自分の身に起こることに対しては、はっきり言って自業自得であると考えています。

これは一般論になりますが、そういったことと、行政がどう対応するかは別のもので、その本人がどういう人物であるか、どういう準備をしたかと、行政がどう対応するかは全く別として存在していて、本人がどういう人かよって行政の対応が変わるとなると、民主主義国家として重大な問題であると思います。

今回の外務省の対応について、国として、行政としてやるべきことをやっていただいたと解釈しています。

紛争地で人質になった邦人の救出や情報収集は難しい中で、可能な限りの努力を3年4カ月続けていただいたと解釈しています。

解放のきっかけや経緯は分かりませんがら、日本政府の原則として邦人救護は必ずやる、身代金は絶対に払わない、この2つの大原則なのですが、その範囲でできることを探っていただいたという風に解釈しています。

外務省の職員の方とも話して情報収集した内容を伺っているが、報道されている私の近況や外務省から聞かされた私の近況は、事実と異なっている。トルキスタンの施設に独房にいる間、2部屋を使っているとか、壁が高くなっているので本人が神経質になっているとか、これは事実に基づかない。

外務省に入ってきたのは事実に基づかない情報があって、情報収集が困難だったと伺える。この機会に、あたかも、拘束者とつながっているかのふりをして、話を持ちかけてくる人がいるので、本当に私の動きを知っている人物を選ぶのは難しい。

本当に拘束している組織に接触するのは、外務省であっても困難だったと思われます。そう理解しているので、外務省の対応に不満はありませんし、やることをやっていただいた、家族のケアもしていただいと思っています。

(外務省の方に)身元確認をされた時に、その言葉を伝えました。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/01/200010(玉川は安田の業績について答えられず、個人が第一義的に責任を負うとする橋下に軍配が上がり、救済以前の自己責任を認めざるを得なかった。)

www.youtube.com

Great ending, but you cut this edit too short...

スパイ・ゲーム - Wikipedia

1991年春。伝説のCIA工作官、ネイサン・ミュアーは、あと1日で引退を迎えようとしていた。引退の日を平穏無事に迎えるかに見えたが、ミュアーの友人でCIA香港支局長のハリー・ダンカンからの電話により、手塩にかけて育て上げた工作官のトム・ビショップが中国でスパイ容疑で逮捕されたことを知る。本来ビショップはダンカンが指揮をとっていた米中通商会談の盗聴作戦に従事するはずであったが、許可なく中国人協力者を指揮して蘇州刑務所に侵入していた。米中関係の親密化を優先するホワイトハウスの意向で、CIAはビショップを見殺しにしようとする。CIA本部ではミュアーの同期であるフォルジャー工作担当次官が座長を務め、ビショップが無許可で作戦を遂行した理由を調査していた。

ミュアーは何とか時間を稼ぎ、ビショップの解放を外交交渉に委ねるように事態を仕向けたが、CIAはホワイトハウスの意向を優先し、ビショップが処刑されるのも時間の問題となった。ミュアーはビショップを救出するため、CIA長官名義の命令書を偽造して蘇州刑務所に近いアメリカ軍基地に送付し、救出作戦を指令する。並行してダンカンを介し中国の地方政府関係者を買収し、刑務所を停電させる。CIA本部での会議が終わりミュアーが退席してしばらくした後、フォルジャーの元に非正規作戦の報告が入る。ビショップとエリザベスは救出され、ヘリに乗り込み刑務所を脱出する。ビショップは隊員から作戦名が「ディナー・アウト作戦」だと聞かされ、ミュアーが自分のために行動してくれたことを悟り泣き崩れる。

ベイルート時代、ビショップは、モサドKGBでも知りえなかったミュアーの誕生日を調べ上げ、酒類の入手が困難な中東で「スキッドボトル」をミュアーの誕生日の祝いとして贈るという「ディナー・アウト作戦」を遂行しミュアーを驚かせたことがある。

元駐米大使の藤崎一郎氏(現・中曽根康弘世界平和研究所理事長)の父でもある。

 聞き手は、東京大学教授の宮沢俊義氏(1976年死去)ら。

 「極東委員会ができたのは、もうあれ(※筆者注・憲法改正草案)ができた後じゃございませんか。つまり日本政府へ押し付けたあとだった」

 藤崎氏は、天皇についての記述に関する質問には次のように語っている。

 「あの頃だったら向うさんが言えば思う通りになりましたね」

 「第九条、戦争放棄の条文、これは衆議院の芦田さんがやっておられた憲法小委員会で第一項に目的を示し、そうして第二項を『前項の目的を達するため、』ということで起したのであります。これについては司令部側は修正案を出しましたときにそれは当然のことだということで別に余り異議をさしはさまなかったのであります」

 「芦田修正が行われたころには、GHQでは日本の自衛軍保持を容認する雰囲気になっていた。藤崎証言は、こうした事情を裏付けるものだ」。西さんはそう解説する。

 この芦田修正に敏感に反応したのが、極東委員会だった。前述したように連合国による対日占領管理の最高機関である極東委員会は、文民条項の導入をめぐって攻勢に出る。

 西さんの研究によれば、芦田修正を受けて極東委員会は、「日本軍が復活するのではないか」と考え、第66条2項の文民条項「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」を加えることを、GHQに強硬に主張。GHQもこれを受け入れたことが判明している。

 時の日本政府は、軍隊は金輪際持たないものと思い込んでいた。終戦の年に日本軍が解体された日本に「軍人」はおらず、「文民」以外は存在していなかった。こうした中で、極東委員会が固執した文民条項。藤崎氏は、極東委員会の要求について、次のように証言している。

 「ワシントンからの命令だからこの憲法でこういう条文を入れるのは意味をなさないと思うけれどもとにかく入れてくれということで入れたのです」

 「両院制のことでありますが、(中略)アメリカ側では別にこの点は日本の占領行政の根本目的に触れることではないので別に強く頑張るということはありませんでしたけれども、どうしても何が故に両院制にする必要があるかということが納得できない、又第二院のほうをどういう組織にしたら存在理由のあるものにできるか、ということを最後まで余り納得しなかったようであります」

 GHQが当初示した草案では、日本の国会は一院制となっていた。これに対し日本政府は、明治憲法下の帝国議会貴族院衆議院の二院があったことを踏まえ、日本国憲法でも二院制とするよう再考を求め、GHQ側が受け入れたことが分かっている。

 西さんによると、「二院制の要求を受け入れることは、天皇や9条など、より重要な部分を日本に認めさせるための『取引材料』。当初からGHQ側はそう考えていた。その上で参院議員も衆院議員と同様に選挙で選ぶよう求め、職能代表や任命ではダメだと注文をつけた」という。

 その結果、日本の国会には、選挙でメンバーが選ばれる二つの議院が併存する格好となった。

 「皇室典範関係で問題になった一つの点は、『男系の男子』というのをやめたらどうか、女でもいいじゃないかということ、これも大して向うは重要視しておらなかったようでありまして、こちから(ママ)日本歴史上で女帝の時代というものはいろいろな関係から治世が濫れた例が多いからやはり『男系の男子』がいいと言ったらそのまま納まったのであります。典範その他は全部原案を日本側で拵えて、そうして大した修正もなく、司令部側は了承したのであります」

 「もう一つは退位の問題ですが、これは日本の案に何もこれについて規定がなかったのに対して、司令部側では、個人の基本的自由というような見地から言って退位の規定を置いたらいいじゃないかというサゼッション(※筆者注・提案)をしたのであります。併しこれもやはり日本歴史上いろいろいざこざのもとになったというようなことを言ったらあっさり納得したのであります」

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ニューヨークの国連本部では1日、軍縮問題を話し合う第1委員会が開かれ各国が提案した核軍縮に関する決議案の採決が行われました。

日本は、25年連続で核廃絶を呼びかける決議案を提出し、核保有国が核軍縮に取り組み、非保有国は今後も核兵器を持たないことを定めたNPT=核拡散防止条約の意義を再確認することなどを呼びかけました。

一方で去年、国連本部で採択された核兵器禁止条約については直接言及しませんでした。

採決の結果、160か国の賛成多数で決議は採択されました。

しかし核兵器禁止条約に触れない決議案は不十分だとして核兵器の非保有国のオーストリアなどが棄権に回りました。さらに核保有国のアメリカも決議案は世界の安全保障の環境の変化を反映していないとして棄権しました。
日本は、唯一の戦争被爆国として、核兵器保有国と非保有国の橋渡し役を務め核軍縮を主導することを目指していますが、双方から賛同が得られず日本の立場が問われる厳しい結果となりました。

国際NGOの「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、2011年以降に北朝鮮から韓国に逃れた女性などおよそ60人に対し、政府当局者による性暴力などについて、聞き取り調査を行いました。

報告書によりますと、北朝鮮からの脱出に失敗した女性が、収容された施設などで、捜査官や看守による性的な暴行を受けていたほか、道ばたで商品を販売している女性も警察や役人に空き家などに連れ込まれ、たびたび性的暴行を受けたということです。

報告書では、警察や政府の高官などまで加害者になっていたとして、「性暴力が国内にまん延している」と非難しています。そして北朝鮮に対し、適切な捜査を行い、加害者に処罰を受けさせることの必要性を指摘したうえで、被害者が心のケアなどの支援を受けられるよう対策を求めています。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の土井香苗東京事務所代表は、「最近の南北首脳会談などでは、人権の問題は置き去りにされている。日本をはじめ、国際社会は現状にしっかりと目を向け解決に向けて動いてほしい」と話しています。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/01/200220(キム委員長「制裁でも強大な国つくる」 経済再建アピール)

米中両国は、お互いに関税をかけあって対立を深めトランプ大統領は、中国が譲歩しなければ、すべての輸入品を関税上乗せの対象にする構えを示して、圧力を強めています。

こうした中、トランプ大統領は1日、ツイッターへの投稿で、習近平国家主席と電話で会談したことを明らかにしました。

トランプ大統領は、貿易の問題に重点を置いて協議したほか、北朝鮮情勢をめぐっても議論し、「長時間、とてもよい話し合いを持った」と述べました。

そのうえで、今月、アルゼンチンで開かれる主要20か国の首脳会議、G20サミットに合わせて開催を調整している米中首脳会談に向け建設的な議論になったと強調しました。

一方、中国国営の新華社通信によりますと、会談で習主席は、トランプ大統領との友好関係を重視していると伝えたうえで、G20サミットで面会し、米中間の重要問題について、踏み込んで意見を交わすことを期待していると、述べたということです。

米中首脳が、電話で会談したのは明らかになっている限り、ことし5月以来、半年ぶりです。双方とも前向きな議論だったことを強調していますが貿易摩擦の解消につながる進展があったかどうかは明らかになっていません。

トランプ大統領は1日、習近平国家主席と半年ぶりに電話で会談し、みずからのツイッターに貿易の問題に重点を置いて協議したほか北朝鮮情勢をめぐっても議論し、「長時間とてもよい話し合いを持った」と投稿しました。

これについてアメリカのメディア、ブルームバーグは、トランプ大統領が電話会談のあと関係閣僚に対して、今月下旬、アルゼンチンで開かれるG20サミットに合わせて中国の習近平国家主席と会談し、貿易摩擦の解消に向けた合意案を策定するよう指示したと伝えました。

米中の貿易問題をめぐり、トランプ政権は中国がハイテク技術を不当に手に入れているとしてこれまでに合わせて2500億ドルの輸入品に高い関税を課したのに対して、中国側も報復関税を発動して対立が深まっています。

また、アメリカ議会にも中国に対する反発は根強くあり、今後、貿易摩擦の解消に向けて米中両国の歩み寄りが図られるかは不透明な状況です。

国営の中国中央テレビによりますと、習近平国家主席は1日、民間企業の経営者らとの会合に出席しました。

この中で、習主席は中国経済について「不確実性が明らかに高まり、下押し圧力もやや強まっていて企業経営には困難が増している」と述べました。

そのうえで、「経済発展のためには民間企業が困難を克服できるよう支援する必要がある」として、中小企業やベンチャー企業などを対象とした減税や、企業の資金繰りの改善に向けた融資の拡大など民間企業に対する支援策を強化するよう指示しました。

中国では、アメリカとの貿易摩擦の激化を背景に、ことし7月から9月のGDP=国内総生産の伸び率がリーマンショック以来の低い水準となるなど景気の減速が続く中、民間企業の収益が大手の国有企業に比べてより圧迫されているとみられています。

中国では習主席が出席して、31日に開かれた共産党指導部の会議でも財政政策などを通じて景気を下支えする方針が確認されていて、さらなる景気減速への懸念が強まっています。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/01/200230中国経済「下押し圧力やや強まっている」 共産党指導部が認識)

アメリカ司法省は1日、アメリカの大手半導体メーカー「マイクロンテクノロジー」から企業秘密を盗み出したとして、中国の政府系半導体メーカーと台湾の半導体メーカー、それに台湾出身の3人を産業スパイの罪で起訴したと発表しました。

起訴状によりますと、中国と台湾の企業は、マイクロンテクノロジーの系列会社に勤めていた台湾出身の元社員3人を使って、DRAMと呼ばれる記憶用の半導体に関する情報を盗み出した罪に問われています。

中国と台湾の企業はDRAMの共同開発を進めていたということで、このうち中国の企業に対してはアメリカ商務省が先月29日、安全保障上の重大なリスクがあるとして、アメリカの部品などの輸出を制限すると発表していました。

セッションズ司法長官は会見で「アメリカに対する中国の産業スパイ活動が急増している。もうたくさんだ」と述べ、中国を強く非難しました。

アメリカでは中国当局が関わったとされる産業スパイやサイバー攻撃に関する事件の摘発が相次いでいて、トランプ政権は取締りを一層強化する姿勢を示しています。

アメリカのトランプ政権は、イラン核合意から一方的に離脱し、イラン産原油の禁輸に向けた経済制裁を今月5日に発動する予定で、日本など各国に対し、原油の輸入を完全に停止するよう求めていますが、各国からは、例外的に容認する適用除外を求める声があがっています。

これについて、アメリカのメディア、ブルームバーグは2日、政府高官の話として、アメリカが日本やインド、それに韓国など8か国に対して制裁を発動したあとも、イラン産原油の輸入を認めることで同意したと伝えました。

それによりますと、適用除外は、原油価格の値上がりを防ぐため、各国が輸入の削減を継続することを条件に暫定的に認めるもので、これに関して、ポンペイ国務長官が2日、発表するということです。

また、イランにとって最大の輸出国の中国については、条件面で協議を進めているものの、8か国に含まれているとしたうえで、除外の対象となる国については、今月5日に発表される見通しだとしています。

イラン産原油の禁輸に向けた経済制裁をめぐっては、ボルトン大統領補佐官が31日、一部の国を適用除外の対象とする可能性を示唆したと伝えられていて、アメリカ政府が最終的にどのような判断を示すのか注目されます。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/27/200240(イラン原油制裁 最大の輸出先 中国も輸入削減か)

中米では、貧困や治安の悪化から逃れるため人々が集団でアメリカへの移住を目指し北上を続けていて、アメリカ政府によりますと、メキシコ国内におよそ3500人、メキシコとグアテマラの国境におよそ3000人の合わせておよそ6500人に上っています。

トランプ大統領は1日、記者会見し「これは侵略行為だ。不法な集団をアメリカに入国させない」と述べ、入国を断固拒否する考えを示したうえで、アメリカへの難民申請の手続きを厳格化する方針を明らかにしました。

それによりますと、現在の法律ではアメリカに不法に入国したあとでも難民申請することができますが、近く大統領令に署名し、合法的に入国する際にのみ申請を許可するということです。

トランプ大統領は先月31日に、国境の警備強化のために派遣しているアメリカ軍の兵士を最大で1万5000人に増やす可能性を示唆したばかりで、今月6日に迫った中間選挙を控え、不法移民対策で厳しい姿勢を改めて示すことで支持層にアピールする狙いがあるとみられます。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/01/200250(中米からの大量移民 米大統領 メキシコ国境に兵士増派指示)

先月31日のハロウィーンの日にフランスでもパリの郊外や南東部のリヨンなど各地で仮装した大勢の若者が街に繰り出しました。

しかし、一部の若者が暴徒化し、火炎瓶を自動車や車庫に投げつけて放火したり、スーパーなどに押し入って商品を略奪したりする事件を各地で起こし、少なくとも116人が検挙されました。

リヨンの商店街で撮影された映像には、暴徒となった若者に警察官が催涙弾を発射し、黒い服で仮装した一団が叫びながら逃げる様子が映っています。

フランスの警察は各地で若者が暴徒化したのはSNSでハロウィーンの仮装をして警察を襲撃するよう呼びかける投稿が広まっていたためと分析しています。

このためハロウィーン当日には1万5000人の警察官を投入し、警戒に当たっていました。日本でも一部で騒ぎやトラブルが起きましたが各地で放火や略奪が起きる事態にフランスのクリストフ・カスタネール内相は「社会の脅威になっている」と述べ、危機感をあらわにしました。

WADAのリーディー会長は1日、ロンドンでのシンポジウムの後記者会見に臨みました。

会見では2015年から資格停止としていたロシアアンチドーピング機構の処分を、WADAがことし9月に条件付きで解除したことに質問が集中しました。

リーディー会長は、WADAの判断に各国の関係機関やアスリートから批判や懸念の声が相次いでいることについて、「批判している人たちはWADAが秘密裏にロシア側と交渉したなどと言っているが、それは間違っている。難しい判断だったが、正式な手順を踏んで行ってきた」と述べました。

そのうえで、「WADAが何もしなければ事態は何も変わらない。ロシアを排除するのではなく、正しい道に導くことこそがWADAの役割だ」と判断の正当性を主張しました。

今回のWADAの決定は再来年の東京オリンピックパラリンピックに向け、ロシアの参加の可能性が開ける第一歩とも受け止められていて、今後のロシアや各団体の対応が注目されます。

公的年金の積立金を運用しているGPIFは、2日午後、ことし7月から9月の運用実績を公表しました。

それによりますと、期間中の積立金全体の収益は、5兆4143億円の黒字で、収益率はプラス3.42%でした。

市場運用分の収益の内訳は、国内株式が2兆4230億円の黒字、外国株式が2兆8823億円の黒字、外国債券が4412億円の黒字となった一方、国内債券は3365億円の赤字となりました。

その結果、GPIFが運用する積立金の総額は、ことし9月末時点で165兆6104億円と、積立金の自主的な運用が始まった平成13年以降で、最も多くなりました。

GPIFは「国内外の良好な経済指標や堅調な企業業績が支えとなり、アメリカや国内の株式市場が大幅に上昇したほか、円安基調で、収益を押し上げる結果となった」と分析しています。

発表によりますと、大塚家具の先月の売り上げは、去年の同じ月に比べて7.7%増加し、去年7月以来15か月ぶりにプラスになりました。

大塚家具では、経営方針をめぐって創業家の親子が対立した影響などで顧客離れが進み、売り上げの減少が続いていました。このため、ことし9月下旬から、売り上げ減少に歯止めをかけようと、最大で8割引きという異例のセールに踏み切っていました。

大塚家具は「大幅なセールを通じて在庫を減らしたうえで、今後は新商品を増やすなど顧客のニーズに合った売り場づくりを進めたい」と話しています。

大幅な割引きが客足の伸びにつながったとして、大塚家具ではセールの期間をおよそ1か月延長し、今月25日まで続けることにしています。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/25/200435(側近の反乱? 大塚家具「久美子社長」に辞任要求を突き付けた“3人の社外取締役”)

10月に行われた内閣改造で、沖縄・北方担当大臣に就任した宮腰光寛さん(67)。
沖縄・北方担当の政務官も務めたことがあり、沖縄振興をライフワークとしてきました。
沖縄県内の有人離島は全部訪問した。本当にいろいろな沖縄料理に出会ったね」

暖かい沖縄におすし文化があるとは…勉強不足でした。
「明治時代に八丈島から伝わったそうです。島の周辺がマグロやサワラのいい漁場なんですね。昔は魚の冷蔵ができないので、漬けにしたと聞いています」

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/11/01/200520

小屋閉めが終わった烏帽子小屋に到着して、今日一番の驚きがあった。
それは、烏帽子小屋に冬期小屋があったことだ。
雨の中でのテント泊を覚悟していただけに、雨風しのげ、寒さからも解放された喜びは、烏帽子岳に登頂したことよりも大きかった。

烏帽子岳 (飛騨山脈) - Wikipedia

頂上部にオベリスク(縦長の柱状の岩)がある特徴的な山容を持つ。

京都・大覚寺で1200年守られてきた「嵯峨天皇 宸筆(しんぴつ)般若心経」。国中が飢きんと疫病に見舞われ、苦しむ民のため、天皇が一心に願って書いたという経巻。かつて天皇だけが見ることを許されていたが、今年、歴史上初めて一般に公開された。NHKでは、その節目の年に行われた心経を元の姿に復元するプロジェクトに密着。見えてきたのは、国と民のために力を尽くした1200年前の天皇の祈りの姿だった。

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