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 問題の本質は、登板回避の是非ではない。

 國保監督と、佐々木や佐々木と共に甲子園に行こうと大船渡に集まったナインとの信頼関係が、決勝の段階で完全に崩壊してしまっていたという強い疑念があるのだ。それは現場に居合わせなければ気づけない暗澹たる空気だった。

 國保監督の采配に、私が最初に疑問を抱いたのは、5月に岩手県九戸郡野田村で開催された春季岩手大会1回戦だった。この大会には、夏の大会のシード権が懸かっており、甲子園を目指す大船渡が、夏の岩手大会で花巻東盛岡大付属をはじめとする県内強豪私立との連戦をなるべくなら避けたいと考えるのは当然で、ナインにとっては軽視できない大会だった。

 相手は大船渡と同地区の釜石。國保監督は先発マウンドに、背番号「10」の和田吟太を送った。大船渡と釜石は練習試合も行っており、両校の実力差からして、控え投手の先発も十分に予想されたことだった。

 ところが、初回に和田が連打を浴び、4点を先制されてしまう。大船渡は2回に右翼を守っていた4番・佐々木が四球で歩くと、主砲の木下大洋に左中間に飛び込む2点本塁打が飛び出し、追いすがる。

 目を疑ったのは、大船渡が2対4で迎えた6回表1死一、三塁のチャンスの場面だった。國保監督は、前の打席で本塁打を放っていた5番の木下に送りバントを指示する。

 あえて強調しておくが、「1死一、二塁」ではなく、「1死一、三塁」である。定石なら強攻、もしくはスクイズだろう。それを三塁走者を塁上に足止めにしたまま、一塁走者を二塁に進塁させるためだけに、アウトをひとつ、献上したのだ。

 試合後、國保監督はこう振り返った。

「夏の大会の勝利を目指していく中で、1番、3番、4番、5番の4人に頼るのは苦しい。後ろの打者も活躍しようということで、ああいうこと(送りバント)になりました」

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kanbun.info

是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者は有らざるなり、と。

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宇宙人生は天の自慊(じけん)的創造である。自己を実現しつつある努力である。
この絶対自慊にして、何等他に俟つ所を求めない生々化育の努力を「誠」と謂う。
誠は天の道である。誠に由(よ)って萬物があり、誠がなければ物もない。人は、此の誠に由って生き、禽獣と異なって自覚を生じ、誠の誠なる所以を体認して之を発揮するようになる。
これを「誠之(せいし)」といい、所当然の道とも謂う。

田島長官が仕えた時期は、昭和天皇が象徴として歩み始めた一方、退位の問題もくすぶっていて、「拝謁記」には、昭和天皇が国民の目を気にする様子がたびたび記されています。

終戦から4年がたった昭和24年8月30日の拝謁では、住まいとして使い続けていた防空施設の「御文庫(おぶんこ)」の増築が話題に上ると、昭和天皇は、「今ハ皇室殊ニ私ニ対シテ餘(あま)リ皆ワルク思ツテナイ様デ一部ニハ退位希望者アルモ大体ハ私ノ退位ヲ望マヌ様ナ時ニ私ガ住居ヲ大(おおい)ニ新築デモシタ様ニ誤伝セラルレバ私ハ非常ニ不本意デ、イハバ(いわば)一朝(いっちょう)ニシテ信ヲ失フ事ハツマラヌト思フ」と述べたと記されています。

さらに、昭和26年12月19日の拝謁では、昭和天皇葉山御用邸での静養について、「退位論などを唱へる人達、生活ニ困つた人特ニ軍人など戦争の為ニひどい目ニあつた人から見ると私が葉山へ行くなど贅沢の事をしてると思ふだらう」と懸念を示し、「行つていゝか」と田島長官に尋ねたと記されています。

これに対し田島長官が「退位其他の事を云々(うんぬん)する人ハ葉山へ御出掛などをそう八釜(やかま)しく申しハ致しませぬし、大切な御位置の方の御健康上御よろしい事ハ結構な事であります故よろしいと存じまして」と述べると、昭和天皇は「そんならそれでよろしい」と述べ安心した様子を見せたと記されています。

一方、皇室についての新聞報道に神経をとがらせる様子も記されていました。

昭和28年11月4日の拝謁では、昭和天皇が大手新聞の報道に触れ、「『菊のかーてん』などと書き出してハ誠ニ困る」と述べたと記されています。これに対し田島長官が「内容を読みますれば宮内庁のやり方の批難ではありませぬがどうも標題がわるうございまして」と述べると、昭和天皇「見出しだけで中を読まぬ人も多く『菊のかーてん』といふ言葉で想像して皇室が国民ニ接近したがらぬとの印象を与へる事ニなつてハ困る」と述べたと記されています。

分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学古川隆久教授は「国民の総意に基づく象徴天皇である以上は、いかに国民に受け入れてもらえる形を作るか、国民との関係をきちんと考えなくてはいけなくなったということが読み取れるのではないか」と指摘しています。

「拝謁記」には、東西冷戦が激しさを増す中で、ソ連の侵略を現実的な脅威と認識し、危機感を募らせる昭和天皇の様子が記録されていて、サンフランシスコ平和条約の調印から5か月が経過した昭和27年2月11日に、昭和天皇が田島長官に対して、「私は憲法改正ニ便乗して外(ほか)のいろ/\(いろ)の事が出ると思つて否定的ニ考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいヽ様ニ思ふ」再軍備憲法改正の必要性について言及したと記されています。

昭和天皇は、その一方で、戦前の軍隊や軍閥の復活はかたくなに拒む姿勢を示していて、日本が独立を回復した直後の昭和27年5月8日の拝謁では、「私は再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭(たいとう)は絶対にいやだが去りとて侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と語ったと記されています。

「拝謁記」には昭和天皇がこうした再軍備憲法改正についての考えを、当時の吉田茂総理大臣に直接伝えようとして、田島長官がいさめる様子が記されています。

昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と述べたのに対し、田島長官は「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と苦言を呈したと記されています。

また、昭和天皇は、昭和28年6月17日の拝謁で、石川県内灘の米軍基地反対闘争に触れ、「日本の軍備がなければ米国が進駐してヽ守つてくれるより仕方ハないのだ。内灘の問題などもその事思へば已むを得ぬ現状である」と述べたとされています。昭和天皇は、国防をアメリカに頼る以上は、基地の提供もやむをえないという認識を繰り返し示していて、基地反対運動に批判的な見解を語ったことも記されています。

「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学古川隆久教授は昭和天皇改憲再軍備に言及していたことは新たな発見だが、改憲と言っても自衛隊的なものを作ることを憲法上認めるということで、国民主権や象徴天皇の枠組みを変えるところまではいっていない。昭和天皇は旧軍にものすごく批判的で、同じような軍隊を再現する気が全くないということはきちんと押さえておかなければならない」と指摘しています。

歴史家の秦郁彦さんは「旧軍閥の復活はダメだというのが前提で、憲法9条を改正して再軍備をするというのが主権国家として当然だというのが昭和天皇のこだわりだ。一方、吉田茂も独自の再軍備の構想を持っていた。ちょうどこの頃に警察予備隊ができたが、吉田としては日本の経済力が足りないうちは本格的な再軍備はできないので待っていてもらいたいという意味を込めて、再軍備に反対していた」と指摘しました。

日本の近現代政治史が専門で一橋大学の吉田裕特任教授は「この資料を見ると昭和天皇憲法を改正したうえで再軍備すると、かなりはっきり繰り返し述べているので、昭和天皇が独立国家であれば軍隊を持つのは当然だと考えていることがよくわかる。明示的に憲法を改正したうえで、しっかりと再軍備することを考えていたことがわかったことは新たな発見だ」と述べました。

さらに、吉田茂は軽軍備や安保のもとで憲法を改正せずに経済成長を優先させるといういわゆる『吉田ドクトリン』を採っていたが、昭和天皇がそれとはかなり違う路線を考えていたということも新しい発見だし、あまり予想していなかったので驚いた」と話しました。

そして、「吉田路線によって憲法の問題をきちんと議論しないままなし崩し的に再軍備が進み、その延長線上に今日があるということを考えると、原点においてこれだけ議論があったということを振り返ることは重要だと思う」と述べました。

そのうえで、昭和天皇は一貫して国際政治の冷厳な現実を重視する、一種のパワーポリティクスみたいな議論が非常に強くて、軍事的な空白が生じたらそこにソ連が入ってくるという考えが非常に強い。背景として、朝鮮戦争の勃発によって冷戦が熱戦に転化してしまったことが大きく、それとともに起こった国内の治安問題やレッドパージなどの騒然とした事態への危惧も非常に強い」と指摘しました。

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#天皇家





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#反日#左派#二元論#旧体制派

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日本の朝鮮半島での「加害責任」とは何なのか。中国大陸で日本軍がひどいことをやったのは事実だが、朝鮮半島は日本の領土で、戦場にもなっていない。それをごちゃごちゃにして加害や謝罪を語るのは偽善だ。

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国連のグテーレス事務総長は8日、声明を発表し「カシミール地方の最終的な地位については、当事者が選ぶ平和的手段で解決することを定めた両国の合意がある」としてインド政府の決定は一方的だという認識を示しました。

呪いの言葉は、相手を黙らせること、相手の言動を封じることにこそ目的がある。

「相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉」

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争いのある事柄について、個別具体的に論証することなく、善悪二元論に立って、一般論を振りかざし、白を黒く塗りつぶして、「平和の少女像」を「象徴に」することによって、丸太で主張を押し通そうとするから。

玉川氏は日本政府の措置に賛成する者は「ネトウヨ」だとレッテル貼りをしていたが、そんな感情的な批判が許されるなら、わしは玉川を「極左」と言うしかない。

言っておくが「話し合い」の結果として「条約」を結ぶのである。

 現在、日本の大学人の多くが「ネトウヨ批判」でビジネスをしている。つまり「お前はネトウヨだ!(したがって私の方が正しい)」という紋切り型に、あらゆる問題をも持ち込んでいくというビジネスである。

 もう一方では「パヨク」嘲笑のビジネスもある。ただ左翼批判の基本パータンは、在野の言論人が、大手新聞社や戦後民主主義系の学者を揶揄する、というものである。これに対して「ネトウヨ批判」ビジネスは、在野の「ネトウヨ(とされている人々)」に対して大学人などが批判を加えていくのが基本構図であるため、性格が異なる。

 日本の言論界の閉塞は、在野民間ウヨクによる大手新聞・戦後民主主義批判⇒左翼知識人による「ネトウヨ」批判⇒在野民間ウヨクによる大手新聞・戦後民主主義批判、と循環論法で閉じられた円環で完結してしまっていることである。

 このままでは底の浅い「知識人のネトウヨ批判を存在証明とした自己正当化」の帰結として、ネトウヨが死滅する前に、「知識人」が死滅してしまう。

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ネトウヨも左翼も善悪二元論だ。

日本はこれまで対米従属を続けるため、中国、ロシア、北朝鮮、韓国のすべてと仲が悪い状態を好んできた。日本はまた、韓国や中国との間で戦争責任問題を意識的にこじらせ、中韓が日本独自の軍事拡張に反対するよう仕向けることで、米国が日本に要求する対米自立的な軍事拡張をやりにくくするとこで、対米従属を維持しやすくしてきた。日本が対米自立すると、日本の権力が官僚機構(非民主的な勢力)から国会(民選された政治家)に移るので、官僚機構は自分たちの隠然独裁的な権力を維持するため、対米従属を必要としてきた。他の諸国は、米国から露骨な意地悪をされるとナショナリズムが扇動され反米姿勢が増して対米自立へと押しやられるが、官僚機構は「戦争責任」を口実にナショナリズムを抑制しており、米国が意地悪をしても官僚の傀儡であるマスコミが換骨奪胎して報道し、反米ナショナリズムが醸成されず、対米自立への動きが起きない。戦争責任問題が長引くほど、日本は官僚独裁と対米従属を延命できる。

トランプはこの構造を破壊すべく、安倍と個人的に親しくなり、安倍がトランプの後ろ盾を得て官僚(外務省など)から権力を奪って自らの独裁を強化するよう仕向け、その上で「在日米軍を撤退させたいので軍事外交的に対米自立せよ」「韓国との対立だけを扇動し、それを目くらましとして、北朝鮮やロシアや中国と関係を改善し、在日米軍撤退に備えよ」「韓国との対立で戦争責任問題を使うのをやめて、貿易戦争に特化せよ。そうすれば軍事的に対米自立しやすいし、あとで韓国と仲直りするのも簡単だ」などとけしかけたのでないか。これは想像にすぎない。

世界の体制は表向き、まだ米国の単独覇権だが、詳細に分析していくと、米国覇権は薄氷の上に乗っており、いつ覇権体制が壊れて多極型に転換しても不思議でない状態だ。近年いろいろ書いてきたように、それは政治経済の両面で起きている。政治面は中東が見えやすいが、日本周辺の極東でもそうなっている。この転換を引き起こしているのはトランプだが、彼は「薄氷を割る」行為を来年の大統領選挙で再選された後まで延期し、それまでに各方面で「多極化の準備」を進めようとしている感じだ。

ボルトンはトランプの世界戦略の過激で好戦的な面を担当しているが、トランプ自身は好戦策と宥和策を行ったり来たりしており、同盟諸国がボルトンの要求を容れて中露やイランを敵視すると、あとでトランプが突然宥和策に転じてハシゴをはずされかねない。そのため同盟諸国は米国の好戦策に乗らずに敬遠する傾向を強めている。

日本の官僚機構はまだ対米従属に固執しているが、米国に相手にされなくなっている。金食い虫の失敗作として知られる米軍の新型戦闘機F35に関して、米政府が、ロシアにすり寄ったトルコを開発パートナーから外す流れになったので、日本がトルコの代わりにパートナーに入れともらおうとした。だが米政府は、日本政府の参加申請をにべもなく断っている。おまけにトランプは、トルコをパートナーからはずす必要はないと表明した。米国に逆らうトルコが大事にされ、対米従属に固執する忠臣の日本が邪険にされている。

「目くらまし」ではなく、多極化のために韓国が障害になっている。
だから、突き放して、自分で考えさせなければならない。
文在寅は「東アジアの平和と繁栄をともに導いていくことを望む」と言うが、日清日露を戦ったのも朝鮮半島が原因だ。

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一方で、ムン大統領は、「日本が隣国に不幸を与えた過去を省みて、東アジアの平和と繁栄をともに導いていくことを望む」としたうえで

韓国の金大中元大統領の死去から10年となった18日、文在寅大統領はフェイスブックへの投稿で日韓や南北関係での金氏の功績を挙げ「(朝鮮半島の)恒久平和を実現する道、韓日間の協力の道を全て前進させなければならない」と強調した。ソウルでは李洛淵首相らが出席し追悼式典が開かれた。

 文氏の投稿のタイトルは「歴史を恐れる真の勇気」。これは金氏が1998年、日本の国会で演説した際に使った表現で「歴史を直視すべきだとの文氏の対日メッセージ」(聯合ニュース)との分析も出ている。

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「解決するには外交的手段しかなく、韓国政府が解決案のたたき台を作り、両国が協議を始めるしかない」

韓国の学者・イ・ウヨン氏がフジプライムニュースに出演「慰安婦像はそれ自体が歴史歪曲」「強制連行や無償で酷使されさと言うのは歪曲された事実」

元駐日韓国大使が語る「徴用工問題を解決する責任は韓国政府にある」

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 空港占拠の直前、8月8日からツイッター上にアメリカのジュリー・イーディー領事が黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)を含む反中国運動の指導者たちと会っているところを撮影した写真がアップロードされている。JWマリオット・ホテルで撮影されたのだという。

 すでに本ブログでも指摘したことだが、今年の3月や5月には活動の指導者、例えば李柱銘(マーチン・リー)がアメリカを訪れ、マイク・ポンペオ国務長官ナンシー・ペロシ下院議長らと会談している。李柱銘は2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」の際、ワシントンDCを訪問し、NEDで物資の提供や政治的な支援を要請していた人物だ。

 香港の抗議活動はアメリカやイギリスに操られていることは間違いないだろうが、両国の影響力は世界的に低下している。東アジアも例外ではない。

香港での工作もアメリカの思惑通りには進んでいないように見える。空港の占拠は抗議活動のパワー不足を補うために考えられたのだろう。現在の動員力では街を舞台にした行動ではインパクトがないため、さほど広くなく、社会への影響がある空間として空港が選ばれたのではないかということ。

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インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方では、インド政府が今月6日、実効支配するジャム・カシミール州の自治権を撤廃したのに対し、パキスタン政府は撤廃を速やかに取り消すよう求めています。

国連の安全保障理事会パキスタン側の要請を受けて、16日非公式の会合を開き、この問題について話し合いましたが、結論は出ませんでした。

こうした中、パキスタンのカーン首相は17日ツイッターに、「インド側に占領されたカシミール地方の深刻な状況について議論されたことを歓迎する。国連の場で取り上げられたのはこの50年以上の間で初めてのことだ」と投稿しました。

そのうえで、カシミール地方の人たちが受けている苦しみをなくすことが国連の責任だ」と書き込み、問題の解決に向けて引き続き国連や国際社会の積極的な関与を求めました。

カシミール問題をめぐっては、パキスタンがインドの措置を違法な行為と強く非難し、国際社会に仲介を求める一方で、インド側は2国間の交渉で解決すべきだという立場を示すなど双方の主張に隔たりがあり、事態の打開に向けた道筋は見えていません。

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アメリカ西部オレゴン州ポートランドでは17日、白人至上主義や極右思想を掲げるグループの1000人以上が集会を開きました。

すると、これに抗議する市民グループなどとの間で激しい口論となり、白人至上主義のグループが「なぜ白人至上主義がいけないのか。アメリカはわれわれの国だ」と主張したのに対し、市民グループは「これ以上、差別や偏見による犯罪を繰り返してはいけない」などと訴えました。

現場は一時、騒然となりましたが、警察が双方を引き離したためけが人は出ていません。

アメリカでは人種や宗教上の偏見に基づいた犯罪、「ヘイトクライム」とみられる事件が相次いでいて、今月3日に22人が犠牲になった南部テキサス州の銃の乱射事件についても、捜査当局はヘイトクライムにあたるとみています。

また、野党・民主党からは、トランプ大統領が移民に対して差別的な言動をとってきたことが事件につながったとして責任を追及する声もあがっています。

アメリカで差別や過激主義などの調査を行っている「南部貧困法律センター」は社会の分断が背景にあると指摘しています。

貧困や内戦を理由にアフリカからヨーロッパを目指す難民や移民はあとを絶たず、国連機関によりますと、ことし、すでにおよそ600人が地中海で遭難するなどして、死亡するか行方不明になっています。

こうした状況を改善しようと、先月から国際NGOが船を出して救助に乗り出し、このうち、134人の難民を乗せた救助船はイタリア南部のランペドゥーザ島への入港許可を求めましたが、イタリア政府で難民問題を主管するサルビーニ内相が受け入れに反対し、難民らは洋上に留め置かれる状態が続いていました。

こうした中、コンテ首相が未成年者の上陸は認めるべきだという声をあげ、イタリア政府は17日、未成年の27人に限って上陸を許可しました。

一方で、この船に乗っていた大人100人余りを含め、今も400人以上が行き先も決まらないまま地中海に留め置かれていて、国際NGOなどが周辺国に人道上の観点から受け入れるよう求めています。

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外務審議官は、首都テヘランイラン外務省で、日本時間の17日午後7時からおよそ30分間、ザリーフ外相と面会しました。

この中で、森外務審議官とザリーフ外相は、ことし6月の安倍総理大臣のイラン訪問など活発な要人往来が行われていることを双方が評価していることを確認しました。

その上で、日本とイランの伝統的な友好関係を踏まえ、中東地域の緊張緩和や情勢の安定化に向けて、継続的に協議していくことが重要だという認識で一致しました。
これに先だって、森外務審議官は、イランのアラグチ外務次官とおよそ3時間にわたり、外務次官級協議を行いました。

一連の会談では、中東のホルムズ海峡の安全を確保するため、アメリカが有志連合の結成を目指していることも踏まえ、意見が交わされたものとみられます。

中東のイエメンでは、サウジアラビアなどが支援するハディ政権と、イランが支援する反政府勢力「フーシ派」が、4年以上にわたる内戦を続け、長年敵対するサウジアラビアとイランの代理戦争の最前線となっています。

こうした中、反政府勢力は17日無人機10機を使って、サウジアラビア東部にある「シェイバ油田」に対し、越境攻撃を行ったことを明らかにしました。

この油田は日量100万バレルの原油を生産するサウジアラビアの主要な油田の1つで、反政府勢力が支配するイエメン北西部から1000キロ以上離れたアラビア半島東部にあります。

サウジアラビア国営通信によりますと、施設で火災が発生したものの被害は軽く、生産に影響はないということですが、サウジアラビアのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は、「世界的なエネルギー供給網への攻撃だ」と強く反発しています。

今回の攻撃は、反政府勢力の攻撃範囲が経済の中心地であるアラビア半島東部まで広がったことを示す形となり、緊迫する中東情勢への影響が懸念されています。

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午後1時に蒲田駅で卒業生のカナミさん(論系ゼミ7期生)と待ち合わせ、ベトナム料理の「ティティ」へ行く。しかし、「ティティ」は今日までお休みだった。それではと「西洋料理SUZUKI」に電話をして、営業していることを確認してから向かう。

ランチはいつも肉料理と魚介料理の組み合わせだが、ビーフシチューと海老フライという組み合わせが個人的には一番だと思う。ホロリとサクッ、この食感の組み合わせがいいのだ。

食後にコーヒーを注文。

プリンアラモードがおまけで付いてくる。

東急の屋上(かまたえん)に行く。ここには彼女のお気に入りの「幸せの観覧車」がある。

「スリック」

今日はカキ氷を食べよう。

私は梅シロップを注文。

彼女が注文したミカンのカキ氷が運ばれてきた。

温かい紅茶を注文

私はシフォンケーキ(紅茶)も注文。

主菜は鮭の塩焼き。

蓮根と白滝のピリ辛炒め。

デザートはスイカ

落札されたのは「タイプ64」と呼ばれるモデルで、世界に1台しか現存していません。

いまから80年前の1939年、ナチス政権下のドイツで、国威発揚のため、ベルリンとローマを結ぶ自動車レースに向けて作られましたが、第2次世界大戦の勃発によってレースは中止となり、ポルシェ家の自家用車となりました。

車のボディーは流れる雲を思わせる滑らかな流線型で、のちに世界中のファンをとりこにするポルシェの原型となりました。

この車はカーレーサーなどの所有を経て、17日、アメリカ・カリフォルニア州でオークションにかけられました。

威勢のいいかけ声とともに価格は瞬く間に上昇し、結局、1700万ドル、日本円にして18億円余りで落札されました。競りが終わると、参加者からはどよめきの声が上がっていました。

この車は、いまも走らせることができるということで、往時をしのばせるエンジン音とともに再び疾走する雄姿を見せるのか、ファンの関心を集めることになりそうです。