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「女子アナにとって最大の成功例とされているのが、資産100億円超えと言われるマネックスグループ松本大CEO(55)をゲットしたテレビ東京大江麻理子アナ(40)なんですよ。後輩の鷲見玲奈アナ(29)にいたっては、自身の結婚について『大江さんがモデルケース』と公言してはばからない」(放送関係者)

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よく、「当時外資系企業を選ぶなんてリスクをとられましたね」と言われたりしますが、私としては「リスクを回避する」ために選んだのが外資系企業でした。銀行、商社、官庁などに行ったりすると上司に恵まれなかったり、コネクションがなかったら出世できなかったりするのではないかと思ったのです。自分の才能や努力ではコントロールできないリスクを一番避けたいと思いました。それに対して、外資系は実力主義でしたから、自分自身の実力で憂き目にあうなら、それは仕方がないと思えるのではと考えたのです。

今では、外資金融というと、特に高学歴の学生に人気になっています。仮に今もう一度、学生に戻ったとしたら、どんな就職先を選びますか?

まず、外資金融なんて絶対行かないでしょう。今時、率直にダサいですよ。私が就職をしたのは20年も前の話ですから。外資金融は一番の伸び時はもう終わっています。外資金融は、私が働いていたちょうど20年前〜10年前に伸び盛りでいろいろ勉強できた業界だったのです。その後の10年間は慣性で伸びているだけです。成功して盛り上がった後に相乗りしようなんて考えは、時代遅れだし、ダサいですよね。
ちなみに、私が東大にいるときに非常に残念に思ったのは、みんな小市民的発想だったことです。東大法学部なんていったら、「自分が日本をこう変えるのだ」とか本気で言えるような鼻持ちならない人間が多いのかと思っていたのですが、実際には、「どこに就職するべきか?」なんてつまらない話ばかりしていて、がっかりしました。
単純に今まで良かったからこれからも良いのではないかという程度の発想でキャリアを選ぶことは、自分の人生にとって非常に無責任なことだと思います。もっとしっかり自分の頭で考えた方が良いですよ。

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マネックス証券 チーフ・外国株コンサルタントマネックス・ユニバーシティ シニアフェロー

岡元 兵八郎

上智大学を卒業後、ソロモン・ブラザーズ証券(現シティグループ証券)入社、東京、ニューヨーク本社勤務を含め26年間同社にて一貫して外国株式のマーケティング、外国株式関連商品業務に携わり、外国株式部の上級管理職として機関投資家相手の外国株式ビジネスの拡大に努める。

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 帝国大学卒業生が指導層に入ると、日本の国策に蹉跌(さてつ)が生ずる。

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僕が本を読む事を嫌いな理由【元プロ野球選手イチロー

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 相撲の技は、いまさら申すまでもないのですが、頭で考えるだけでは駄目なのはもちろんのこと、頭で考えてそれから技がでるというのでも、駄目なのです。たとえば、「上手投げ」をかけるとします。「上手投げ」をかけようと思って、それからその技がでるようでは問題になりません。こうと思った瞬間には、もう技がでているのでなければなりません。これは相撲だけにかぎらぬことかも知れませんが、相撲は勝負が瞬間のあいだに決着する競技であるだけに、この一点が大切な問題となるのです。「心身一如」とでもいいましょうか、自分の意識と自分の身体とが、一枚になりきるのでなければ、勝を制することはむつかしいのです。
 相手の「隙」をつかむことは勝負のうえに肝要このうえもないことですが、さてその「隙」は、眼で知るのでなく、こちらの体で感得すべきです。自分の修錬がつんでくると、相手の身体的ないし心理的な動きは、ただちに自分の身に感応されるものです。

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諸生皆斗筲の小人、君子これを恥ずるは大学の常でしょう。彼等の説く所は倫理政治の学です。そのよる所は古聖先哲の書です。意気挙がり情熱燃ゆるごとき子等が彼等について求むるものはすなわち炎々たる理想精神、これを体現する人格者でなければなりませぬ。この究竟者を遺却しての考証訓詁は到底若き者の堪うる所ではありません。このために昔から多くの英霊漢が書を厭いました。書を厭うは大丈夫の過ちではあるが、そこには饑人に対して餅を画く学者の迂愚が禍しております。

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 そもそも主体と理法とを分裂させたのは、義理は後天的に獲得するものとした告子の主張であり、孟子がてきびしく論難したものです。これでは後天的学習を務めて本来性の発揮をなおざりにし、該博なばかりで焦点が定まらないということを、あなたはとうにご存知のはずなのに、どうしてまたこんなことをおっしゃるのですか。(小生が)これを対象に溺れて目的意識を喪失したものと論評したことを、これでもなお、そうではないと否定されますか。小生の主張する致知格物論とは、われわれ主体者の良知をあらゆる主客関係に発揮するということです。われわれ主体者の良知こそがいわゆる天理なのです。われわれ主体者の良知を天理としてあらゆる主客関係に発揮すると、あらゆる主客関係はすべて理法にかなうことになります。われわれ主体者の良知を発揮することが「致知」です。あらゆる主客関係がすべて理法にかなうことが「格物」です。これでこそ主体と理法を結合させて分裂させないのです。主体と理法を結合させて分裂させないということであれば、小生が先に述べたこと及び朱子晩年の主張は、すべて、ことさらに説明しなくてもご理解いただけますでしょう。

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「努力をして深いところに理解がおよぶと、それを言葉で表現することはいよいよできなくなり、その理を説くことはいよいよ困難になる。もしその深くて微妙なところを言語表現することにとらわれてしまうと、完全な本体が努力するのに、逆にその意識におおわれて機能しなくなってしまう」と。

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 先生がいわれた、「このこと(良知が本来完全であること)さえすっかり理解できたならば、何をどうまくしたてようと、それが正しいのか正しくないのか、誠なのか偽りなのかは、良知にかかったらいとも明白だ。合致したものが正しいものだし、合致しなかったものが正しくないものだ。ちょうど仏教徒がいう『心が仏の心と合致する』と同様であって、これこそが、試金石であり、指南針である」と。

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かならずしも知る必要のないことについては、聖人は知ろうとはしないものである。逆に当然知っておくべきことについては、聖人は自分からちゃんと人に質問する。

謹んで申し上げます。
天皇陛下ご即位にあたり心よりお祝いを申し上げます。

またこのような記念すべき国民祭典にお招きにあずかりお祝いと感謝を申し述べる機会をいただき、緊張しておりますが大変光栄に存じます。

即位礼正殿の儀での陛下のお言葉を拝聴し、日本そして世界の平和に対する陛下の御心に胸を打たれました。

陛下は松尾芭蕉の「奥の細道」をお読みになったことがきっかけで水にご関心を持たれ、長きにわたってご研究をなさっているとお聞きしました。そして、水を通して世界のさまざまな問題をとらえ、そのことが平和につながるとのお考えをお持ちであると知るに至りました。

私も大好きな読書を通じ、知識を得ること、そしてその知識を踏まえて、行動に移す、その事が大切であるのではないかと考えるようになりました。

陛下の御心を受け、どんな事でも思い立ったことは迷わず実行できるようになりたい、そう思っております。

元号「令和」は、万葉集からの出典だったという事を知り、昔の日本の書物から新しい時代の元号が作られるということは、なんて素敵なことなんだろうと深く感動しております。古くからわが国に伝わる文化を大切にしつつ、新しい日本へと躍進していく、そんな時代になっていくことを切に願っております。

最後になりますが、いつまでも両陛下がお健やかであられますようお祈り申し上げ、御祝いの言葉といたします。

令和元年 十一月九日 芦田愛菜

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朱子学で、人間の知(知識)と行(実践)の関係は、先後からいえば知を先とし、軽重からいえば行を重とする説。

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中国の王陽明が唱えた学説。朱熹(しゅき)の先知後行説に対して、知識や認識は必ず実行を予想しているものであり、知って行わないのは真に知っているのではないとし、知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体をなすと説く。

陽明学の実践重視の立場を示す説。朱子学の先知後行説が認識を実践よりも優先重視するのに対して、真の認識は実践を通じて獲得されるという見地から認識と実践を一致させる必要を説く。

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「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」

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南宋朱熹(1130〜1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めたため、後に格物や格致という言葉は今でいう博物学を意味するようになった。

明代中葉の王守仁(王陽明、1472〜1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。

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数学書の読まれ方

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司法試験過去問をやる前に短文事例問題をやるなど学習段階に合った勉強をする

科学はフローチャート的に考え記述されていて、それでいて中間が省略されているから。

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 現在の高校教科書や既存の参考書には、多くの化学事象に対する網羅的な説明は一応なされていますが、さらにもう一歩突っ込んだ「なぜそうなるのか?」という生徒たちの素朴な疑問にはほとんど答えられてはいません。

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私は、入学試験勉強としては、中学の三年からの教科書を全部極めて詳細・正確に復習することをその中心とした。受験のための参考書は、その時分にも、むろんたくさんあったが、私はほとんど見なかった。狭く深く、徹底的に理解する。これが私の一生をつうじての勉強方針といってもよいかもしれない。(前掲228頁)

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科学も基本的に同様ではないかと感じます。まず自分の直感によって、今まで関連を誰も気がついていなかった自然界の事象同士を結んだり、これまで説明できなかった結果を説明できる仮説を考え付いたりするのが、第一段階です。これが独創的であるほどよいわけです。次にその仮説を人に納得してもらえるためのデータを、実験により集め、結果を論理的に並べます。この段階で矛盾なく構築ができれば、まず自分でもその仮説の正しさを信じることができ、そして他人に堂々と発表できるようになります。これらのステップで守るべき「約束事」は、議論の展開が論理的であること、実験結果は再現可能であること、論文を書くときは決められている構成に従うこと、などでしょうか。

クリスチアーノ・ロナウドが数々の栄光を掴み取ってきたのは、徹底して己を律してきたからだ。ハイパフォーマンスを維持するために、自己管理を怠らないことで知られている。

「メッシの方が自然だ。彼は全てのことを自然とやってのけてしまうんだ。ただ、彼も苦手なことに対しては、しっかりとトレーニングを重ねている。例えば、フリーキックとかね。ロナウドはありとあらゆる壁を、自分を鍛えて、乗り越えてしまうんだ」

6:52

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この、〈内〉を徹底することで〈普遍〉に至るというロジックは日本国憲法の秩序そのものでもある。おそらく両天皇はそのことをちゃんと理解しているのではないか。その意味では天皇は日本国と日本国民統合の象徴にとどまらず人類普遍の原理の象徴たらんとしているのではないか。

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#天皇家

和田先生:いえ、日本の刑法学の中でバランスが大きく変わってきました。その原因として一番大きかったのが、裁判員制度ロースクール制度の開始という司法制度改革だと思います。それ以前は、実務家には、「学者が言っていることは結局役に立たん」みたいなイメージをもたれ、逆に、研究者側からすると、「実務はちゃんとした理屈なしに動いてしまっている」というように、別々の世界をそれぞれ勝手に生きるという印象が強かったわけです。それが、司法制度改革以降は、両者をきちんと繋がないといけないという要請が相当強まってきましたし、大学や学会も現にそういう雰囲気になりました。
 ロースクール制度が始まって、現にそこで教える状況になり、体系性だけ追究していけばいいというものではないことが、まさに自分の日々の行動の内容として要請されるようになってきました。刑法学が重点を置くべきポイントが相当大きく変わって、良い学説だと判断される基準も変わってきていると思います。現実の判例をより適合的に説明して、次の判断の指針となるような解釈をし、総合的な判断ができる枠組みを提示しないといけないという具合に変わってきました。それまでは判断する基準が少なかったというか、もっとスパッと切っていたのが、いろいろな事情を考慮した上で、しかも理論的にきちんと根拠づけられるものでないといけないという要請が強まったということです。それは研究者としての感覚からすると「外圧」だったわけですが、結果としては非常に良かったことだと思います。

宍戸先生:憲法行政法も、法科大学院制度によって、より実務的な議論が重視されるようになってきた点は同じだと思います。

#英米法#実学

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#勉強法

アメリ国務省北朝鮮問題を担当するマーク・ランバート特使と北朝鮮外務省のチョ・チョルス北米局長が出席して、ロシアのモスクワで開かれた国際会議は9日閉会しました。

会議に合わせてロシアは、モルグロフ外務次官などがランバート特使とチョ局長とそれぞれ個別に協議しました。

これに関連して、ロシア政府の関係者は、NHKに対してアメリカと北朝鮮の双方が協議できるよう調整を図った」と明らかにしましたが、結局、まとまらなかったとみられます。

アメリカと北朝鮮は、先月、北朝鮮の非核化をめぐってスウェーデンランバート特使も出席して実務者協議を行いましたが、協議は不調に終わり、再開の見通しは立っていません。

今回、ロシアが仲介しない形での米朝の協議があったのかなどは明らかになっておらず、非核化をめぐる米朝の協議の先行きは依然として不透明なままです。

一方、ロシアとしては、会議に合わせて米朝の代表のほか韓国の高官とも協議を重ね、朝鮮半島の非核化は、ロシアも交えた多国間で行うべきだとする考えを改めて伝え、この問題に関わるロシアの存在感を示す狙いもあったとみられます。

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#露朝

香港では今月4日の抗議活動に参加していたと見られる男子大学生が8日に死亡したことを受けて、10日午後から6つの商業施設などでの抗議活動がSNS上で呼びかけられました。

このうち新界地区の住宅地では黒いマスク姿の若者らが集まり、地下鉄の駅の改札口を壊しました。

また駅に隣接する大型商業施設では中国寄りと見なされた企業グループのレストランや商店でテーブルや照明などが破壊され、一部の店舗が営業を取りやめたほか、買い物に来ていた家族連れなどがあわてて避難していました。

香港では一連の抗議活動が始まって9日で5か月となりましたが、大学生の死亡後、警察などに対する市民の反発は激しさを増していて、中には警察への報復を呼びかける市民もいます。

10日夜は9日に続き、香港島の中心部で亡くなった大学生の追悼集会が開かれるほか、11日は高校生などによる授業のボイコットも呼びかけられています。

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カンボジアは、9日、フランスから独立したことを祝う記念日を迎え、首都プノンペンでは、厳戒態勢の中、国王やフン・セン首相が参加してセレモニーが行われました。

9日の記念日に向けては、カンボジアの最大野党・救国党の前の党首で、逮捕状が出された4年前から国外で生活を続けるサム・レンシー氏が帰国すると予告していました。

しかし、サム・レンシー氏は、7日、フランスのパリの空港で、カンボジアの隣国タイへ向かう飛行機に乗ろうとしましたが、タイの航空会社に拒否されており、帰国を警戒するフン・セン首相による周辺国への働きかけが影響したと見られていました。

その後、行き先を変更し、9日、マレーシアに到着しましたが記者団に対し、「数日滞在する」と述べ、独立記念日の帰国を断念したことを明らかにしました。

フン・セン政権は、サム・レンシー氏がことし8月に帰国を予告してから8日までに、野党関係者など64人を逮捕するなど締めつけを強めており、欧米諸国などから批判が高まっています。

カンボジアの首都プノンペンの裁判所は10日、最大野党「救国党」の党首、ケム・ソカ氏の自宅軟禁を解除すると発表しました。

その理由として、「健康状態などを考慮した」としていますが、一方で政治活動への参加禁止や海外への渡航禁止などの条件もつけています。

ケム・ソカ氏は2年前に国家反逆の疑いで逮捕され、去年、保釈が認められましたが、自宅軟禁の状態が続いていました。

カンボジアでは強権的なフン・セン首相のもと、解散を命じられた最大野党が不在のまま去年、選挙が行われ、与党がすべての議席を独占する結果となりました。

さらに国外で生活を続ける最大野党の前の党首が帰国すると予告したことを受け、ことし8月以降、野党関係者など60人余りが逮捕されるなど、締めつけが一層強まっています。

こうしたフン・セン首相の政治手法に対し、EUが制裁を検討していることなどから、今回の軟禁解除の発表は国際社会の批判をかわすねらいがあると見られます。

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インドとパキスタンの間では、インドで暮らすシーク教徒が、ことし、開祖の生誕550年の節目に合わせて、パキスタン側の寺院を訪問できるよう両国にまたがる形で巡礼路の建設が進められ、先月、シーク教徒のビザなしでの巡礼を認めることなどで合意しました。

パキスタン側で9日行われた開通式には、パキスタンのカーン首相やインドのシン前首相などが出席して完成を祝ったあと、インド側から訪れたシーク教徒が早速、巡礼路を通ってパキスタン側の寺院を初めて訪問しました。

巡礼先の寺院は、インドとの国境からおよそ4キロ離れたパキスタン中部のパンジャブにあり、およそ5000人の巡礼者が毎日、日帰りで訪れることができるということです。

インドとパキスタンの間では、先月31日に領有権を争うカシミール地方の州をインド政府が直轄地にしたことに対し、パキスタン政府が強く反発して対立が続いています。

こうした中、両国の間で始まった今回の取り組みをきっかけに、今後、関係改善につながるのか注目されます。

インドで暮らすシーク教徒がパキスタン側の寺院をビザなしで訪問できるようになったことについて、巡礼路の開通式に出席したインドのシン前首相はメディアの取材に対し、「シーク教徒のコミュニティーにとってきょうは歴史的な瞬間だ。巡礼路の開通は、インドとパキスタンの関係改善に向けて役に立つだろう」と述べて、両国の関係改善に期待を示しました。

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ベルリンの壁の崩壊から30年となった9日、東西ベルリンの分断と統一の両方を象徴するブランデンブルク門前の広場ではシュタインマイヤー大統領やメルケル首相が参加して記念のイベントが開かれました。

この中で、シュタインマイヤー大統領は、「多くの犠牲者を出した非人道的な壁はもうない。しかし、ドイツ社会には怒りや憎しみ、疎外による『新たな壁』ができた。取り壊せるのは私たちだけだ」と述べて、ドイツ社会の分断を乗り越えようと訴えました。

このあと特設ステージでは、ベートーベンの交響曲第5番「運命」が演奏され、訪れた人たちは熱心に耳を傾けていました。

イベントに参加した男性は、「ドイツ統一後もいろんな問題がありますが、私たちは克服し、20年後、25年後もここで壁の崩壊を祝いたいと思います」と話していました。

ドイツ各地ではこのほか、東西市民による対話の集会やアート作品の展示などの催しが10日まで行われています。

ドイツのベルリンの壁が崩壊した当時、旧ソビエトの最高指導者だったゴルバチョフ元大統領は、壁の崩壊から30年に合わせて、ドイツの有力誌シュピーゲルのインタビューにこたえ、「ドイツ人は自分の国の運命をみずから決める必要があった。私に必要だったことは暴力を除くことだった」と述べて、当時、壁の周辺に集まった東ドイツの人々に対して、武力で排除するなどといった事態とならないよう配慮したことを振り返りました。

そして、ゴルバチョフ元大統領は、「冷戦時代を懐かしむようなことがあってはならず、当時の状況に戻ってはならない」と述べて、現在、ロシアと欧米が対立を深めている状況について、危機感を示しました。

そのうえで、「信頼回復のためには辛抱強く対話を続けていくことが必要だ。そのためにも核軍縮の問題は取り組まなければならない」と述べて、再来年に期限を迎える米ロ間の核軍縮条約新STARTを延長する必要性を訴えました。

アメリカのトランプ大統領は9日声明を出し、「1989年のこの日、抑圧と失敗した社会主義の象徴として四半世紀以上も存在していた壁を崩壊させるために東ドイツ、西ドイツ双方の勇気ある男女が団結した」と振り返りました。

そして「東西冷戦から長い年月が経過したが、世界中の専制的な政権はソビエト式の全体主義による抑圧的な手法を用い続けている」と批判し、抑圧的な統治を続ける国々に対し同盟国などとともに対抗していく構えを示しました。

そのうえでドイツを「最も貴重な同盟国の1つ」と呼んで、今後も連携していくと強調しました。

ドイツの市民グループトランプ大統領に贈るために準備したのは、実物のベルリンの壁の一部で、重さは2.7トンあります。

壁には英語で、「アメリカはベルリンの壁崩壊にむけて重要な役割を果たしました。壁のない世界の実現へのアメリカの貢献をたたえるためベルリンの壁の一部を贈ります。ベルリン市民より」などとトランプ大統領へのメッセージが書かれています。

この壁は、ベルリンの壁が崩壊して30年の節目に合わせて、9日、トレーラーで運ばれてアメリカの首都ワシントンのホワイトハウスの前に到着しました。

しかしシークレット・サービスに止められたことから、一行はトランプ大統領に壁を届けることなくその場をあとにしました。

市民グループの代表は、「私たちの社会や心の中に存在する壁をなくしたいというメッセージを込めた。アメリカが当時、壁をなくすための闘いの最前線にいたということを、トランプ大統領アメリカ国民に思い出してもらいたい」と話し、国際社会で自由や民主主義を守るためのアメリカの役割に期待を示しました。

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今回の信州旅行は、友人Kの茅野の別荘に一泊、松本に一泊の二泊三日の予定である。茅野までの2時間は、スマホで昨日のブログを書いたり、来週の日曜日の句会のための俳句を考えたり、昨日届いた原稿のゲラ(再校)に目と通したりしていると、あっという間である。車内のワゴンサービスからホットコーヒー(ポットから注いでくれる)のメニューがなくなっていた。あれがワゴンサービスで一番利用するものだったので、がっかりである。缶コーヒーならわざわざ車内で買うには及ばない。そのうちワゴンサービスそのものがなくなるのではないだろうか。

私は車を運転しないし、運転したいという気持ちもないが、こういうドライブは好きである(助手席で)。

♪どこまでも行こう 道はきびしくとも 口笛を吹きながら 走って行こう~というブリジストンタイヤのCMソング『どこまでも行こう』(小林亜星作詞・作曲、1966年)を思い出す。私は小学校6年生だった。

蕎麦屋「香草庵」。

大学生の頃、Kと赤岳に上ったことがある。

「魔法屋JIN」

奥様に写真を撮っていただく。今年で開店7年目だが、いつまでも開店当初の初々しさを失わない方である。

「長圓寺」は紅葉の名所として知られている。

玉宮温泉 望岳の湯」。

休憩室の食堂で夕食を注文する。

コンビニに寄って明日の朝食を購入。

 ロシア、ザギトワ選手:「日本に行く度に色々なレストランを見てどんなお店にするか研究しています。今はフィギュアスケートが第一なので、お店のことはその後ですが」
 ザギトワ選手は9日、スケート選手としてのキャリアが一段落した後にロシアで日本食レストランを経営したい考えを明らかにしました。
 ロシア、ザギトワ選手:「ラーメンがとてもおいしいです。豚や牛が駄目なので、鶏ガラのラーメンを食べます。今、一番好きな日本食です。アリガトウゴザイマス!」
 ザギトワ選手は特に「鶏ガラのラーメンが一番好きだ」と強調し、本格的な日本食メニューを展開したいという思いを語りました。
















上皇さまの退位に向けた政府の有識者会議で、座長代理をつとめた東京大学名誉教授の御厨貴さんは10日の「祝賀御列の儀」(しゅくがおんれつのぎ)で、国事行為として行われてきた「即位の礼」の一連の儀式がすべて終わったことについて、「上皇さまの退位の議論の取りまとめに少しは協力した者にとって、長いようで短かったなというのが率直な思いで、ほっとした」と述べました。

また、平成2年の前回のパレードは昭和天皇崩御のあとだったため、もろ手を挙げてお祝いするという雰囲気にはならなかったと振り返ったうえで、「今回は上皇さまが健在でおられて、そこに天皇陛下が立たれるということで、どちらもおめでたいという祝賀ムードがあり、儀式の成功につながった。お二人の自然体の姿に国民が共感して、スマートフォンなどで撮影する様子をみて、国民と両陛下の関係性が縮まってきたと強く感じた」と指摘しました。

さらに御厨さんは、天皇陛下の即位から半年余りの歩みについて、「基本的に上皇さまがやられてきたことを引き継いでいるところで、令和の時代の天皇陛下の独自色というのはこれからだと思う。外国の賓客との会話もごく自然体で臨まれていて、今後こうした会話が増えることで、平和や国際化が一層進んでいくと思う。頑張っていただきたいとエールを送りたい」と述べました。

そのうえで、令和の時代に求められる象徴天皇と国民との関わりについて、「天皇陛下は、海外に向けて開かれた天皇制をお考えになり、関心の高い環境の分野などを含めて実行に移して国民に還元されるのではないか。天皇陛下がお考えになったことを実行に移し、国民の側も象徴天皇とは何かを考える、そうしたキャッチボールが重要になってくると思う」と話していました。

 上皇上皇后両陛下のお出ましは最近、急増している。11月1日には東京スタジアム(東京・調布市)でラグビーW杯3位決定戦を観戦された。ほかにも、10月7日には国立劇場(東京・千代田区)で琉球舞踊を鑑賞され、同月11日には東京芸術劇場(東京・豊島区)で鳥類図譜展をご見学、11月6日には国立公文書館(東京・千代田区)で展示をご覧になった。

「5月の御代がわり直後も外出はありましたが、『私的』であることを理由に公表は控えられてきました。しかし最近になって、事前に訪問が公表されることが増えています。公表があればメディアの取材が入るようになり、その結果、両陛下のお姿が報じられる機会が増えているのです」(皇室記者)

 そうした中、宮内庁内部では早くも来年に向けて新たな議論が起こっているという。

「来年の新年一般参賀上皇上皇后両陛下のお出ましを求める声が上がっているそうです。新年一般参賀は、“国民が伝える祝意に、皇族方がお応えになる”という位置づけで、出席が可能な成年皇族はみな出席されるものです。ですから、皇族である上皇上皇后両陛下がお出ましになっても不思議でなく、回数を限定するなどの形でお出ましになる可能性は充分にあります」(皇室ジャーナリスト)

 前出の山下さんは、宮内庁内部の“二重の体制”についてこう話す。

「御代がわりがあっても、国民の頭の中にいる天皇がすぐに切り替わるわけではありません。しばらくの間は、上皇上皇后両陛下を“天皇皇后両陛下”としてとらえる国民も多くいるでしょう。しかし、天皇上皇の二重権威を恐れるあまり、上皇上皇后両陛下のお出ましが制約されることは好ましくありません。今後、ご活動が公的か私的か、発表をどうするか、取材設定をどうするかなど、宮内庁はその都度、難しい判断を迫られるでしょう」

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