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Copenオーナーになってみたよ♪「納車を勝手に密着!!」
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総理大臣官邸を訪れたのは、トラックドライバーの安全意識や運転技術の向上を図ろうと毎年行われているコンテストで、去年、総理大臣賞などを受賞した男女4人のドライバーで、面会した安倍総理大臣からトロフィーが贈られました。
安倍総理大臣は「全国のドライバーの目標として安全技術の向上・研さんに励んでいただきたいし、多くの人たちにトラックドライバーになりたいと思ってもらえるような活躍を祈念したい」と激励しました。
そのうえで「運送業界は、人手不足の中で大変厳しい日々があると思う。業界の皆さんとも協力しながら、職場環境がさらに改善するように努力していきたい」と述べました。
総理大臣官邸の前庭には3台の大型トラックが持ち込まれ、面会を終えた安倍総理大臣は、実際に運転席に乗り込んで、座り心地やハンドルの握り具合を確かめながら、ドライバーたちとことばを交わしていました。
ホテルの建設計画がまとまったのは京都市右京区の仁和寺の道路を隔てた向かい側にあるおよそ4000平方メートルの空き地です。
ここは長年空き地となっていて、4年前にはガソリンスタンドやコンビニエンスストアの出店計画が持ち上がったものの「景観や住環境が損なわれる」などとする地元の反対を受けて計画が撤回された中、今回、新たに東京の事業者と住民がホテルの建設計画について協議を進めてきました。
関係者によりますと、ホテルは72室がある地上3階、地下1階建てで、屋根に日本瓦を用いるほか、室内には京都伝統の染め物や焼き物を用い、景観や伝統産業の活用に配慮するとしています。
この土地は本来、延べ床面積が3000平方メートル以下の宿泊施設しか建てることができませんが、こうした配慮によって京都市が選定する「上質な宿泊施設」に限って特例的に規制緩和を認める制度が初めて適用される見通しです。
今後は事業者と住民、それに京都市などで最終的な調整を進め、早ければ再来年夏ごろの開業を目指すということです。
仁和寺や付近の住民などによりますと、ホテルの建設が予定されている寺の前の土地は、かつては住宅が建ち並んでいましたが、20年以上前からところどころで空き地がではじめ、一部が建設資材の置き場などになってからはまとまった規模の空き地となったということです。
10数年前に、結婚式場を建てる計画が持ち上がったものの、平成20年のリーマンショックを受けて計画が立ち消えとなりました。
平成27年にはガソリンスタンドとコンビニエンスストアの建設計画が持ち上がりましたが、周辺の住民と寺が「世界遺産の景観や静かな住環境が損なわれ火災の危険性も高まる」などと反対し、計画の撤回を求めて裁判所に民事調停を申し立てました。
これを受けて、事業者側は「住民の理解を得られない」として出店の中止を決め、空き地の状態が続いていました。
外国人観光客の増加を受けて、京都市は東京オリンピック・パラリンピックも視野に、宿泊施設の立地が制限される住居専用地域などでも、一定の要件を満たせば特例的に規制を緩和する「上質宿泊施設誘致制度」を平成28年に設けました。
規制緩和を受けるには、市から「上質な宿泊施設」として計画が選定される必要があり、要件として、地域の魅力を最大限に活用した事業計画で、地域経済の活性化にも貢献することが挙げられています。
また、市内の食材や伝統産業品を活用することや、地域との調和のため住民と合意形成をしていることなども求められています。
市によりますと、今回、仁和寺の前に予定しているホテルの計画ではこうしたすべての要件を満たすめどがたったということです。
このため、延べ床面積が3000平方メートル以下の宿泊施設しか建てることができないというこの地域の規制の例外として、今回は、およそ5800平方メートルのホテルが計画されています。
市によりますと、制度を活用したいという相談はほかにも複数寄せられているということで、地元の人たちの生活や景観などとの調和を図りながら開発を進めていく一つの在り方として注目されそうです。
これは4日、大阪市立大学大学院の仁木宏教授らの研究グループが発表したものです。
豊臣秀吉によって築城された当初の大坂城は大坂の陣に勝利した徳川幕府によって埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれています。
しかし、大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているため、発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかありませんでした。
このためグループでは細い金属の棒を地中に差し込んで、その際の抵抗から地中の構造を推定する調査方法を使い、4年間かけて大阪城本丸のおよそ300地点を調べました。
その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や、生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたということです。
こうした構造は築城当初の大坂城を描いたとされる図面とほぼ一致していたということで、実際の調査で当時の大坂城の遺構が大規模に確認されるのは初めてです。
仁木教授は「発掘調査が難しい中で絵図などに残されていたものが実際に確認できたことは大きな意義がある。今後は文化財を破壊しない方法を組み合わせてさらに調査を進めたい」と話しています。
今回の調査は「スウェーデン式サウンディング調査」と呼ばれ、もともとは地盤調査などに用いられてきました。
先端にドリルがついた直径3センチほどの細い金属の棒を地中に差し込み、その際の抵抗の強弱を測定することで地中の構造物の位置や形を推測することができます。
詳しく調べるためには多くの地点で調査を行う必要があり、今回の調査では4年間かけておよそ300地点に金属棒を差し込むことで、地下の石垣や構造物の状況が明らかになりました。
一方で地面を掘り起こさなくても地中の調査ができるため、今後、史跡に指定されている場合など、発掘が難しい場所での調査に役立つとして注目されています。
今回の調査結果について、大阪城天守閣の北川央館長は「歴史研究者にとって、築城当初の大坂城がどのような構造物であったか知る手がかりや方法は絵図以外にはほとんどなかった。徳川の時代とは異なる豊臣期の大坂城本丸の複雑な構造が確認されたことは非常に価値のある成果だ。文化財として保護されている場所での発掘調査は難しく、今回の調査手法は今後の研究でも参考になるはずだ」と話しています。