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「そんなことはないだろ」などとテレビにいつも突っ込みを入れていた筆者だが、ある日都心から40㎞ほど離れた自宅まで帰るために深夜タクシーに乗った時に、話好きな乗務員さんだったので、「タクシードライバーの推理日誌みたいに、あんな長距離利用のお客さんはいるんですか?」と聞いてみた。すると、「『新幹線の最終を逃したけど、明朝キャンセルできない用事がある』といったお客様が深夜に名古屋や大阪まで利用するということは、それほど珍しくもないようですよ」とのこと。

 ただし前述したドラマのように、道で手を上げられて乗せたら「名古屋まで」と言われたからそのまま乗せていくというわけにはいかないようだ。タクシー業界では隔日勤務の乗務員同士が1台のタクシーを“専属車両”としてシェアすることが多い。そのため深夜に長距離客を乗せてしまうと、次の日に乗務するはずの乗務員が乗るクルマがないということにもなる。ほかにも、タクシー乗務員には1出番当たりの走行可能距離や勤務時間が決まっているので、仮に長距離利用の乗車を申し込まれたら、自分の所属する営業所の運行管理者にその旨を報告し指示を仰ぐことになる。

 仮にOKがでた場合に気をつけなくてはいけないのが、“乗り逃げ”である。常習犯的なひとも多いので、出発時に支払いについて確認する必要が出てくる。「目的地に両親が住んでいるので払ってもらえるので大丈夫」などと言われて乗せて目的地に到着すると、素直に「金がない」と言われることも多いとのこと。このような時の料金の扱いはどうなるのか、前出の乗務員さんに聞くと、「原則全額乗務員の自腹になります。事情にもよりますが酌量すべき理由があれば、会社によっては会社と折半などということも稀ですがあるようです」。

 支払いの心配のほかにも燃料の問題がある。多くのタクシーの燃料がLPガスなのは広く知られた話。ただ営業区域内であっても、ガスステーションとタクシー会社が契約している指定ガスステーション以外ではLPガスの充填はできない。燃料代はタクシー会社で負担するケースがほとんどであり、ガス充填ごとに現金など個別支払いは発生せず、月締めなどでガス会社からタクシー会社にまとめて請求があるとのこと。

 会社がOKを出して、料金の支払いにも問題がなくとも、今度はガスの充填をどうするかということになる。支払いは乗務員立て替えということも可能だが、土地勘のない場所でガスステーションを探すのは至難の業。所属営業所の運行管理者が調べて教えたり、地元のタクシー乗務員に聞いて教えてもらうなどの対応をとるようだ。

お客を送り届けたあとは、たまたま送り先から東京までタクシーで移動したいという、まさに奇跡的なお客が現れない限り、回送で東京まで帰ってくることになる。

 いまどきはアプリ配車に積極的なタクシー会社の乗務員ならば、原則営業区域内の通常営業でもかなり稼ぎが良く、年収1000万円も珍しくない。乗り逃げだけでなく、乗務員の平均年齢の高さを考えても、超長距離の営業はハイリスクがより目立ってしまっているのが現状だ。

 とくに朝に都心から東京隣接県までの利用などは、帰りの通勤ラッシュに巻き込まれるので、それを嫌がる乗務員も多いと聞く。

 世界的には、営業区域内で回数を多くお客を乗せたほうが儲かるという考え方が主流となっているようだ。インドネシアジャカルタ隣接市からジャカルタまでタクシーに乗ったら、最初のタクシーが高速道路のインターチェンジ手前で停車した。すると乗務員はタクシーを降り、仲間と話をしたあと、その仲間のタクシーに乗り換えるように言ってきた。すると仲間は乗せてきた乗務員に、おそらく乗車地からインターチェンジまでの料金を支払ったようだ。そして仲間のタクシーで無事ジャカルタに到着した。

 これこそまさに、最初のタクシーは長距離を嫌がり、そして途中で請け負った乗務員は長距離メインで営業しているということの顕著な例といえよう。

 日本ではこのようなことはないが、乗務員のなかには近場でコツコツ稼ぎたいというひとや、“一発ロング狙い”をメインに営業している乗務員さんなど、その営業スタイルは千差万別なのである。

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戦後まもなくから高度成長期にかけての東京都内の進学コースで有名なものに「番町小学校麹町中学校⇒日比谷高校⇒東京大学」があった。私の場合、やや時代が異なるがこのうちの麹町中学校を卒業した。もっとも麹町中学校は公立中学に過ぎず、地元に住んでいれば誰でも自動的に進学できる学校だった。地元の麹町小学校を出た私は何の苦労もなく麹町中学校に進学したのだった。

確かに、当時の日比谷高校は東京大学に毎年100名を超える合格者を出していた名門校だったが、そこに合格するためには、それなりに成績優秀でなければならない。そうした意味で、この「エリートコース」は都市伝説と呼んでいいのかもしれない。

そのほか、当時の都立高校には有名大学へ大量の合格者を出す進学校が数多くあった。日比谷高校のほかにも新宿区にある戸山高校立川市立川高校などがそれだ。これらは日比谷高校と並び、戦前の旧制府立中学。いわゆるナンバースクールと呼ばれた学校だ。

当時も私立の麻布高校開成高校などの有名校は存在したものの、これらの都立高校は東京教育大学(現在の筑波大学)付属高校、同駒場高校東京学芸大学付属高校などとともに優秀な学生を独占していたのである。

その後都立高校は、新しい入学者選抜方式として、1969年に学校群制度を導入。このとき同時に学区制を採用したことで、ほとんどの都立高校で学区外の学校の受験が認められなくなった。

当時の東京都の小尾乕雄教育長が唱えたのは「富士山よりも八ヶ岳」。学校間の格差を減らし、いろいろな学区で複数の優秀な学校を作ろうとしたのである。

しかし教育長の思惑とは別に結果として、日比谷や西といった都立のガリバー校は凋落。残念ながら都立高校はかなり低い八ヶ岳になってしまった。その一方で、都内それぞれのエリアとそのエリアの中心となる進学校の位置づけを明確にすることにつながっていった。

なお麹町中学校を卒業した私が進学先に選んだのが、当時家があった練馬区が所属する第3学区第32群の進学校である西高校。

私が高校に進学した昭和50年頃は、都心に通うサラリーマンのベッドタウンが、中央線や京王線西武線沿線に西へ西へと成熟した街並みを形成し始めた頃に該当する。

たとえば第3学区を形成する杉並区、中野区、練馬区はまさにその時期に成熟したエリアの典型であり、そこで教育熱心な親に育てられた子供たちは、学区内の進学校に進むようになったのだ。東京西部に広がる住宅地開発の流れはさらに、JR中央線の線路に沿って西に進み、国立市にある国立高校、八王子市にある八王子東高校といった都立高校が、地域の進学校としての地位を固めていく。

こうして人口が郊外へと拡散する中、日比谷高校らの進学成績は凋落していった。また下町の都立名門校であった上野高校や白鷗高校、両国高校墨田川高校などの進学校も、台頭し始めた私立高校に優秀な生徒を奪われ、進学成績を落としていくことになる。

都内どこからでも希望の都立高校を受験できるように入試制度を大幅に変えた際、当時の石原慎太郎都知事は「高校生なんだから好きな学校に電車に乗って通えばよい」といったようだが、通学時間はあまり長くないほうが良いに決まっている。また希望の高校までの交通利便性も重要な指標になったはずだ。その後、都立高校の入学者選抜方式はその後、幾度かにわたって改変され、現在では都内どこからでも「単独志願」で学校を選べるようになっている。また各学校に特色を持たせるために進学指導重点校、進学指導特別推進校などの指定や小石川中等教育学校(旧都立小石川高校)のような中高一貫校も設置されるようになった。

ではこうした動きがその後の都立高校の進学絵図にどのような変化をもたらしたのだろうか。学校の良し悪しを東京大学進学者数だけで判断するのが良いとは思わないが、あくまで参考数値という意味で、17年度の各都立高校の合格者数を見てみよう。

一時、東京大学合格者数が一桁台に落ち込んでいた日比谷高校の48名を筆頭に国立高校26名、西高校19名が続く。注目すべきは、進学成績を落としていた下町の名門校、白鷗高校が12名、都市部の学校で、こちらも一時期進学成績が低下していた青山高校が7名、小石川中等教育学校も12名の合格者を出している。一方、郊外人口の増加の流れに乗って進学成績を伸ばしていた立川高校は3名、八王子東高校に至っては進学指導重点校であるのにもかかわらず合格者が0名になっている。

この現象は入学者選抜制度の改変や各学校の進学指導などの努力の賜物である一方、人口の都心回帰の動きと連動しているように考えられる。

私立高校でもこの流れは顕著だ。たとえば、渋谷区にある渋谷教育学園渋谷高校。同系列の幕張高校は48名の合格者を出しているが、近年進学成績を急伸させた渋谷高校が25名もの合格者を出すに至っている。かつて東京大学への合格者を輩出していなかった、豊島区の本郷高校も17名。同じ豊島区の豊島岡女子学園は21名。38名の合格者を出した早稲田高校、48名の合格者を出した海城高校はいずれも新宿区、13名の合格者を出した攻玉社高校は品川区にある。

まとめると、公立でも私立でも、今は都心部にある学校ほど、良い生徒が集まる傾向にある。そして今やこの傾向は、大学のありようにまで影響を及ぼすようになっている。

都心の地価の高騰によって昭和の終わりから平成にかけて多くの私立大学が都心のキャンパスを捨てて、郊外に転出した。その代表的な街が八王子をはじめとする多摩地区だ。

しかし、多摩地区での人口減少を見越してか、このエリアに拠点を構えていた大学が都心へと移転するケースが急増している。たとえば、15年に中央大学が法学部を23区内に移転することを発表。既に共立女子大は2006年に千代田区に、14年には実践女子大学が2つの学部と短大を日野市から渋谷区に、15年には拓殖大学が2つの学部を文京区内に戻している。

トレンドとしては、多少地価が高くとも都心のブランドエリアに戻り、学生の人気を得ることが重要な戦略になっている。学校も所在する「街」のブランドを見定め、選びなおさなければ学生からそっぽを向かれ、死に絶えることが確実な時代になったのだろう。

もちろん、受験は高校や大学入試から始まるわけではない。今やマンションを購入する際のファミリー層の最大の関心事が「進学先の小学校の評判」だという。

都内三大名門公立小学校といえば千代田区番町小学校、港区の白金小学校、そして児童相談所問題ですっかり有名になった南青山の青南小学校である。また教育レベルが高いと言われる文京区には3S1K(誠之、千駄木、昭和、窪町)と呼ばれる小学校がある。そうした学校の通学区にあるマンションはファミリー層に絶大な人気を誇り、新築も中古も高い価格で売れていくという。

これまでは圧倒的な住宅不足を背景に、より郊外へと住宅地が拡散し、そのエリア内で新たな進学校、有名校が生まれていくという構図だった。だが、夫婦共働きが前提となる中、現代の住宅選びは、会社までの交通利便性を重視し、都心居住を選択する傾向が顕著になった。そうした中で彼らがあらためて注目するのが学校の立地であり、何を隠そう「街」なのだ。このあたりの事情は著者の近刊『街間格差』に詳しく記してあるので、関心をお持ちの読者はぜひ目を通していただきたい。

学校側としても、これまでは大量の受験生から選抜できる立場にあった。しかし少子化が進む昨今、一部の有名校を除き、「お客様」となった学生が住む街の近くへと自ら寄りそっていかなければ経営が成り立たなくなってきているのが実情である。

つまり住宅購入客も学生も、学校自体も、望もうが望むまいが、自分たちが所在する「街」を主体的に選ぶ時代になっている。そしてただ単に「住宅というハコ=ハード」の価値だけを見て選ぶような時代から、「街」そのものを選ぶ時代に変わった今、それに伴って、東京23区内の不動産価値にも大きな変化が生まれつつあるのだ。

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昔、西村法律事務所からM&A法大全と言う凄い本が出て、すぐ買った
仕事中も又家でも時間があれば線引いて全部読んだ
今は、こんな細かい事覚えて意味あんのかな?と思えても、ある日、実戦の仕事で必要になる瞬間が必ず来る 不意にお客様に聞かれたりする
その一瞬の為に日々の勉強

蓮田ブログにInstagramTwitterの投稿を埋め込みたい!と思い立ち昨日から色々試しておりましたがやっと成功する模様!

他のブログサービスとかであれば結構簡単に出来るのかもしれませんが蓮田のブログ事務所の自社サイトなので結構テクが必要(言うほどではないけれど、、)なのですよ。

今後ドブ板営業レベルでブログアップしてやる。

だいたいね、なんでも楽しようと思ったら良いもの出来ません。楽なんてしません、ワガママ言いません。ブログ書けるだけで、読んでもらえるそれだけで幸せです。

ゴリゴリでいかないといけません。

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ポータブルスキルは、性格や人柄など、資格や経験だけでは図り切れない能力を評価するための基準です。

ポータブルスキルとは、特定の業種・職種・時代背景にとらわれない能力のことです。たとえば、真面目さや積極性、几帳面さなど、その人のことを表す性格や人柄などの評価をいいます。資格などのように、明確な基準がないことが特徴です。

なお、人物を評価する際に基準となるスキルには、前述のポータブルスキルの他、スタンス・テクニカルスキルが挙げられます。このポータブルスキル、スタンス、テクニカルを下図のようにピラミッド状で表すと、一番底辺の部分がスタンス、真ん中の部分がポータブルスキル、頂点となる部分がテクニカルスキルとなります。

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学問は早年より中年に進むに随って、修徳の学(心に道徳性を修める学問)に時務の学(時々の問題について身につけなければならない学問)を加えくるべきものであって、みだりに本末先後を謬(あやま)ってはならない。

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成人(人と成る)の学びには二つある。
徳性を養う学びを「人間学」といい、
知識技能を修得する学びを「時務学」という。


韓国では太平洋戦争中の「徴用」をめぐる裁判で、日本企業に賠償を命じる判決が確定し、資産が差し押さえられる事態となっていて、日韓関係は悪化しています。

一部の有識者からは、日本側にも配慮すべきだとして、韓国政府や両国の企業が参加する財団や基金を設置し、一括して補償を進める構想が上がっていて、これについて韓国大統領府は26日、声明を発表しました。

声明では「発想自体が非常識だ」と、この構想を強く否定するとともに、日本側とも意見を交わしたことはないと強調しています。

そのうえで「韓国最高裁判所の判決を尊重するのが基本的な立場だ」として、日本企業の賠償責任を認めた判決を尊重する姿勢を改めて示しました。

声明では「未来志向的な両国関係を構築するため、諸般の要因を総合的に、綿密に検討している」としていますが、韓国では日本企業に対し、賠償を求める訴訟を新たに起こす動きもあり、悪化する日韓関係をめぐって、事態を打開する見通しはたっていません。

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インドのモディ首相は25日、首都ニューデリーで、南アフリカのラマポーザ大統領と会談し、今後3年間にわたり、インド洋で防衛協力を強化することや、2国間の貿易を拡大させることを盛り込んだ協定を結びました。

会談のあとの記者会見で、モディ首相は「インドと南アフリカは、ともに民主的で多様性があり、考え方は一致する」と述べました。

また、ラマポーザ大統領は「両国は関係を深めるために、さまざまな分野で協力することができる」と述べました。

アフリカでは、中国が港湾などのインフラ整備への支援を拡大しているほか、東部のジブチに軍事基地を設けるなど、進出の動きを加速させています。

こうした中で、インドも海外で初めてとなる軍事基地をアフリカに設ける計画で、今回の協定は中国をけん制するねらいもあるとみられます。

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アメリカではトランプ大統領の公約であるメキシコ国境沿いの壁の建設費をめぐる与野党の対立で新たな予算が成立せず、政府機関の一部閉鎖が1か月以上にわたって続いています。

トランプ大統領は25日、ホワイトハウスで記者会見し、「野党側と合意に達し、3週間にわたって政府機関を再開する法案にまもなく署名する」と述べ、来月15日までの暫定予算案で民主党と合意したことを明らかにし、過去最長となる政府機関の閉鎖はひとまず解除されることになりました。

一方で、トランプ大統領は、「3週間の間に国境警備の在り方について与野党で議論してもらう。強固な壁をつくる以外の選択肢はなく、合意を得られなければ、再び政府機関を閉鎖するか、非常事態を宣言することになる」と述べ、協議の行方しだいでは議会に諮らずに大統領権限で行政措置を取れる「非常事態宣言」を出す可能性も示唆しました。

政府機関の閉鎖の長期化で市民生活にも影響が出始め、国民の批判が高まる中、トランプ大統領が、ひとまず野党側に歩み寄った形ですが、壁の建設費をめぐる問題は先送りとなり、予断を許さない状況が続きそうです。

トランプ大統領の発表を受けて野党・民主党の上院トップのシューマー院内総務とペロシ下院議長は25日、記者会見を開き、シューマー院内総務は「アメリカ史上で過去最長となった政府機関の閉鎖はついに、きょう終わることになる」と述べ、政府機関の一部閉鎖が解除される見通しとなったことを歓迎しました。

そして、「民主党は壁には強く反対している」と述べ、民主党としては壁の建設に反対する立場は変わらないと強調しました。

そのうえで「国境警備を強化するという点では意見は一致している」として、この先の3週間の間に国境警備の在り方について与野党で議論を進める考えを示しました。

またペロシ下院議長は政府機関の閉鎖を理由に、延期を提案していたトランプ大統領の一般教書演説について「現時点では予定は決まっていない」としたうえで、今後、日程の調整に応じる考えを示しました。

2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが干渉したとされるいわゆる「ロシア疑惑」をめぐり、捜査を進めるモラー特別検察官は25日、トランプ陣営で政治コンサルタントを務めたロジャー・ストーン被告を議会に対する偽証など合わせて7つの罪で逮捕・起訴したことを明らかにしました。

起訴状によりますと、ストーン被告は、2016年のアメリカ大統領選挙の期間中、ロシア政府がサイバー攻撃で入手したとされる民主党陣営のメールを内部告発サイト「ウィキリークス」が公開したことをめぐり、議会の調査に対し、ウィキリークス側と連絡を取り合っていたことはないと、うその証言をしたとされています。

さらに、ストーン被告は2016年夏ごろに、ウィキリークスが近くクリントン陣営に打撃を与えるためにメールを公開することをトランプ陣営の幹部にも伝えていたということで、アメリカのメディアはロシア疑惑へのトランプ陣営の関与を示すものだと伝えています。

ロシア疑惑をめぐる捜査が大詰めを迎えているとみられるなか、ストーン被告は、疑惑の解明のカギを握る人物とされ、捜査の進展につながるとみられることから強い関心が集まっています。

アメリカのトランプ大統領は、ストーン被告の起訴を受けてツイッターに「アメリカ史上、最大の魔女狩りだ。共謀は行われていない。国境を越えて麻薬密売や人身売買をしている犯罪者たちのほうがよほどいい待遇を受けている」と投稿し、ストーン被告の逮捕・起訴を批判しました。

ストーン被告は25日、フロリダ州の裁判所に出廷し、保釈金25万ドル(2700万円余り)を納め、保釈されました。

ストーン被告は記者団に対し、議会に対してうその証言をしたことはないとして、起訴された内容を否定したうえで、「政治的な動機に基づく捜査で、裁判では無実を訴える」と述べ、無罪を主張しました。

南米のベネズエラでは22日、首都カラカスで行われた反政府集会で、グアイド国会議長が独裁体制を続けるマドゥーロ大統領を批判し、暫定大統領への就任を宣言しました。その後、アメリカをはじめ南米各国がグアイド議長への支持を表明しています。

政治的対立の深まりに伴って、デモの参加者が治安部隊と衝突するなどして、これまでに20人以上が死亡するなど混乱が続いています。

こうした事態を受けて、マドゥーロ大統領は25日に会見し、「私はアメリカを尊敬しているが、トランプ大統領だけは例外だ」と述べました。

そのうえで、トランプ大統領は世界中にフェイクニュースを流し続け、私やベネズエラを悪者に仕立て上げようとしている」と述べ、混乱の原因がトランプ大統領にあると批判しました。

ベネズエラをめぐっては、国連安全保障理事会の会合が26日に開かれる予定で、アメリカはグアイド国会議長を暫定大統領として認めるよう、各国に呼びかけるとしていることから、マドゥーロ大統領の発言はこれに反発したものと見られます。

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イラン国営テレビの英語放送「プレスTV」の女性キャスター マルジェ・ハシェミさんは今月13日、アメリカにいる家族を訪問した際に、中西部セントルイスの空港で重要参考人として、司法当局に拘束されました。

これを受けて、イラン国内では、抗議行動が起きるなど、アメリカへの反発が強まっていましたが、アメリカの司法当局は25日までに、ハシェミさんを釈放しました。

司法当局は、ハシェミさんを拘束した理由を明らかにしていませんが、釈放されたことで、イラン国内の抗議行動などはひとまず収束するものとみられます。

一方、イランで拘束されていることが、今月明らかになったアメリカ国籍の退役軍人の男性について、イランの司法当局は25日、捜査が行われているとして拘束を続ける方針を示しました。

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トルコと国境を接するシリア北部のクルド人勢力について、トルコは自国の安全を脅かすテロ組織だとして越境攻撃を辞さない構えですが、アメリカは過激派組織ISとの戦いで協力関係を築いてきたことから攻撃に強く反対しています。

このため、アメリカとトルコは、トルコの国境からクルド人勢力を遠ざけるようシリア北部に幅およそ30キロにわたる「安全地帯」を設置できないか検討しています。

これについてトルコのエルドアン大統領は25日、演説で「安全地帯」は数か月以内に設けるべきだという考えを示し、「実現しなければトルコ自身で安全地帯なり緩衝地帯なりを設置する」と述べ、悠長に待つつもりはないと警告しました。

一方、アメリカ軍の撤退によって取り残される形になるクルド人勢力はトルコと対じするため、これまで距離をとってきたアサド政権に接近していて、シリアの内戦は新たな局面に入りつつあります。

Mazloum Kobani, chief of the Kurdish-led Syrian Democratic Forces, said the last remaining jihadists will soon be flushed out and military operations against the extremists wrapped up.

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INF全廃条約をめぐって、アメリカはロシアが条約に違反して新型の弾道ミサイルの配備を進めていると非難し、是正しなければ来月2日にも破棄に向けた手続きを始めるとしています。

期限が迫る中、NATOは25日、ロシア側と大使級の協議を開きましたが、記者会見でストルテンベルグ事務総長は「ロシアは立場を変える意思を示さなかった」と述べ、事態に進展がなかったことを明らかにしました。

そのうえで、「ロシアが開発しているミサイルは核が搭載可能で、ヨーロッパの都市が射程に入るものだ」と述べ、改めてロシア側を非難しました。

そして、条約破棄に向けた手続きが始まるまではまだ時間があるほか、手続きの完了にも半年かかるとして、この間にミサイルを廃棄し、条約を順守するようロシアに強く求めました。

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米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版は25日、米連邦準備制度理事会FRB)が金融危機後に買い込んだ米国債などの保有資産の縮小計画見直しを検討していると伝えた。想定より早く縮小を止めて、多めに米国債を保持するという。金融引き締めを和らげる効果があるとみられる。

 資産の縮小ペースを巡る思惑から昨年12月に株式市場が動揺したこともあり、当初の計画では示していなかった最終目標を明示する可能性もあるという。29、30日に開く連邦公開市場委員会FOMC)で協議する。

フランスのルノーは、日産のカルロス・ゴーン前会長が経営トップを辞任したのに伴い、24日、後任の会長にフランスの大手タイヤメーカー、ミシュランのスナールCEO=最高経営責任者が就くなど新しい経営陣を決めました。

安倍総理大臣は、フランス側の要請を受け、25日午後7時すぎから、マクロン大統領と電話で会談しました。

この中で、安倍総理大臣は「日産・ルノーのアライアンスは日仏産業協力の象徴であり、安定的に維持・強化されることを期待している。具体的な進め方は当事者の間で、よく話し合ってもらいたい」と述べました。

そのうえで、両首脳は、ルノーの経営陣刷新を機に、日産とルノーの協力が円滑に進むよう期待する考えで一致しました。

また、安倍総理大臣は、ことし6月のG20大阪サミットの成功に向け自由貿易の推進やイノベーションを通じて、世界経済をけん引し、経済成長を目指すとともに、格差への対処に取り組む考えを伝え、今後、緊密に連携していくことでも一致しました。

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 日清食品創業者の安藤百福と、その妻・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説まんぷく』。好評のまま、物語は佳境を迎えつつあるが、終盤の山場は、安藤氏が無一文からチキンラーメンの開発で「一発逆転」を勝ち取るところだ。

 夜食でチキンラーメンを食べるのが楽しみだった。柔らかめに麺を茹でるのが好きで、醤油と鶏ダシと油の混ざった汁を、たっぷり麺に吸わせて、ずるずるっと啜り上げる。高校時代の受験勉強で夜中にお腹が空くと、鍋に水と麺を最初から入れてつくった。そうする方が麺がよくふやけるからだ。気が向けば、卵もひとつ落とした。

チキンラーメンにお世話になった日本の受験生は少なくないはずだ。私が付け焼き刃の受験勉強でギリギリ志望大学に合格できたのも、そのエネルギーに負うところが大きいのかもしれず、チキンラーメンには恩があるのだ。

 安藤氏の自伝『魔法のラーメン発明物語』(日経ビジネス人文庫)によれば、安藤氏は戦後まもまく、経営していた信用組合の破綻で無一文になった。そこで自宅に研究小屋を建て、即席麺の開発に取り組み、苦心の末、妻が天ぷらを揚げる姿にインスピレーションを受け、油で麺を揚げる「油熱乾燥法」にたどり着いた、という。安藤氏はこれを「発明」と述べている。私はこの説明にいささか納得ができないところがあるのだ。

 この雞絲麵は好評を博し、あっという間に台湾全土に広がった。チキンラーメンの「発明」より10年以上前のことだ。

 当時の日本は食糧難であった。日本には多くの台湾人が戦前から暮らしていた。台湾の家族から日本の家族へ、雞絲麵は盛んに船便で送られたという。

 台湾人の父と日本人の母との間に生まれたエッセイストの一青妙さんには、こんな記憶がある。父は台湾の5大財閥、顔一族の長男で、終戦直後から日本に留学していた。

「父は戦後すぐに日本に戻ってきていたのですが、日本の友人たちを家に集めて食事会をよくしていたそうです。父の死後、同級生の方から聞いたのは、顔さんの家にはいつも『ケーシーミー』があるので、楽しみにしていたということでした」

「ケーシーミー」とは雞絲麵の台湾語読みである。

 安藤氏の本によれば、チキンラーメンの発明は1958年ということになっている。しかし、一青さんのお父さんは、それよりずっと前の「終戦直後」に雞絲麵を日本で食べていたことになる。

 葉さんに、日本の安藤氏が1958年に油揚げの調理法を「発明した」と主張しているが、どう思うか尋ねてみた。葉さんが語った言葉は印象的だった。

「うちは大正時代から油で麺を揚げている。それは間違いない。自分はもう63歳。この仕事を50年間やってきた。それは本当のこと。あとはどうでもいいさ」

 そして、こう付け加えた。

「見人見智」

 これは、中国語の故事成語で「1つの物事には、その人の立場によって、異なる見方があるものだ」ということを意味している。

 確かにその通りだ。そして、私は私の見方として、チキンラーメンの源流は、この台湾南部にあることを確信した。安藤氏の「発明」よりずっと前に、彼の故郷の台湾南部で、油熱で麺を揚げて調理する方法が、広く普及していた。

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標高およそ6960メートルの南米最高峰「アコンカグア」の登頂を断念した86歳の三浦雄一郎さんは、26日午前に帰国し、成田空港で三浦さんが校長を務める通信制高校の生徒たちの出迎えを受けました。

その後、都内の事務所で会見した三浦さんは、冒頭、「無事に帰ってきました。残念なことにドクターストップで登頂は断念しました」と報告しました。

三浦さんは今月21日、標高6000メートル付近のキャンプ地で持病がある心臓への負担が増しているとして、同行する医師からドクターストップがかかり、登頂を断念しました。

これについて、三浦さんは「高所登山の場合、限界まで登っての決断は死亡事故につながるおそれがある。若いころ、アコンカグアに登頂し、私は昔、あそこに行ったんだという気持ちも残っていて、自分ではまだ行けると感じていたが、医師の判断を受け入れ、余裕を残して断念することにした」と振り返りました。

そして、三浦さんは4年後、90歳でエベレストを目指すという目標について触れ「この年齢でどこまでできるかという自分に対する好奇心と、人類の年齢的な限界を超えてみたいという気持ちがある。超高齢者のチャレンジ、究極のトライとして、90歳でエベレストに挑戦したい」と早くも次にむけた抱負を語りました。

三浦さんは「今は体重が非常に重くて、およそ90キロあるので、スキーを滑り込み、最低10キロは落として心臓への負担を減らし、筋肉を付けたい」と今後のトレーニングについても話しました。

同行した医師の大城和恵さんは「老化に伴うリスクを自覚することは難しいが、三浦さんは心臓の病気や、年齢をよく認識していて、断念すべきという周囲の判断を受け入れてくれたことが、すばらしかった」と今回の決断をたたえていました。

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初場所は14日目を終えて、2敗で玉鷲が単独トップ、3敗で貴景勝が追う展開で、優勝争いはこの2人に絞られました。27日の千秋楽で、玉鷲が平幕の遠藤に勝てば初優勝が決まります。

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あきちゃん💕似てますか?☺︎

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#角谷暁子#若あっこ

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オーストラリアで開かれているテニスの全豪オープンは女子シングルスの決勝が行われ、大坂なおみ選手がチェコペトラ・クビトバ選手をセットカウント2対1で破って、この大会初めての優勝を果たしました。大坂選手は四大大会で去年の全米オープンに続く2大会連続2回目の優勝で、大会後の世界ランキングで1位になることが確定しました。

大坂なおみ選手は21歳。ハイチ出身の父と日本人の母を持ち、大阪市で生まれ、3歳からアメリカに移り住みました。2013年にプロに転向し、身長1メートル80センチの体格を生かした時速200キロ近い高速サーブや力強いストロークなどパワーテニスが持ち味です。

女子ツアーに本格的に出場し始めた2016年、東京でのツアー大会で準優勝し、その年、女子ツアーで最優秀新人賞にあたる賞に日本女子で初めて選ばれるなど活躍が期待されてきました。

去年は飛躍の1年となり、3月には四大大会に次ぐ格付けの女子ツアーの大会で日本選手として初の優勝をつかみました。さらに四大大会では、全豪オープンで四大大会初のベスト16に入り、全米オープンでは日本選手として初めてシングルスでの優勝を果たしました。

テニスの四大大会は全豪オープン全仏オープンウィンブルドン選手権、それに全米オープンの4つを指します。

四大大会のシングルスで、日本選手は戦前に活躍した時期があり、1918年、熊谷一弥さんが全米オープンでベスト4に入り1920年には清水善造さんがウィンブルドン選手権で1931年から1933年にかけては佐藤次郎さんが全仏オープン全豪オープン、それにウィンブルドンで合わせて5回、ベスト4に進出しました。

このあと、日本選手がベスト4に届かない時期が続きましたが、1973年の全豪オープンで沢松和子さんが女子シングルスでベスト4入りすると、伊達公子さんが1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープン、それに1996年のウィンブルドン選手権でベスト4に入りました。

このあと、錦織圭選手が2014年の全米オープンで日本選手として初めてシングルスの決勝に進出し、準優勝となりました。錦織選手は2016年と去年の全米オープンでもベスト4入りしました。

そして、去年の全米オープンで大坂選手が日本選手として初めて四大大会のシングルスで優勝しました。