#ディストピア
まず安倍首相は、ナショナリズムやアイデンティティが国際社会に分断を生み出すことを警戒し、リベラルな国際秩序の優位性を強調してきた。
もちろん、第一期の最初の施政方針演説で「戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し」を主張し、第二期政権就任直後に内外の反対を押し切って靖国神社に参拝した政治家が、リベラルと評されるのは間違っているという意見もある。
しかし、米国第一主義(アメリカ・ファースト)を掲げて当選し、TPPからの離脱を表明・実現し、NAFTAの見直しを主張していたトランプ大統領に、安倍首相は世界の政治指導者の中では最初に面会して関係を確保し、その後良好な関係を維持しながら、そのインド太平洋戦略に影響を与えるまでになった。つまり、米国を国際社会に繋ぎとめることに成功している。
さらにTPPから離脱した米国は、その後日本との間で日米貿易協定(2020年発効)を締結し、その離脱の影響を最小限にとどめた。
中国との関係では、民主党政権下で拗れた尖閣諸島の購入問題を解決し、日中双方が政治的に妥協できるレベルにまで関係を戻した。
同時に、第二期政権発足直前に発表した「安全保障のダイアモンド」構想の実現に向け、「法と秩序」の維持を中国に迫り、あらゆる多国間フォーラムの場を利用して中国に圧力をかけている。
2019年の防衛計画の大綱の見直しと、それに伴う日米安全保障ガイドラインの改訂は、「力の対話」に信頼を置く中国との協調を確保する上で、重要な手段となったのである。「法と秩序」に「力」を加えることにより、国際社会の正当性を確保していった。
d1021.hatenadiary.jp
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笑っているのはもちろん、菅と二階幹事長である。二人は急接近したかのようにいわれているが、今になって始まったことではなく、実際には2年以上前から二人で「菅総理誕生」の絵を描いてきた。
二人が接近した動機は面白い。
もともと菅氏は二階幹事長の座を狙っていたが、高齢の二階幹事長にとっては、幹事長というポストは死守すべきものだった。そこで二階は菅に対して、次期総理として推すカードを差し出した。ライバル関係を協調関係に変えてしまうのは、幾重にも危機を乗り越えてきたベテラン政治家の力量をも示している。
菅は総裁への道を今まさに歩んでいる。すでに菅周辺では、目下新政権の組閣人事が進められているという。
最も揉めているのが、官房長官人事。副官房長官を務めてきた加藤勝信などが有力視されているが、以外にも、菅が推す本命は、梶山弘志・経産大臣だという。
「麻生派は河野太郎を推して、細田派は西村康稔とねじ込もうとしている。ただ、総裁選前の人事となると、派閥力学を無視できない。こればかりは菅の思惑通りには行かないかもしれないが」(ベテラン秘書)
梶山弘志は、菅が「師」と仰ぎ「目標」として定めてきた梶山静六(橋本政権の官房長官)の長男である。菅とは、初当選が同期にあたるなど、長きにわたり信頼関係を築いてきた。
菅も梶山も当時は派閥も違ったが、現在はお互いに無派閥。最近では、梶山氏は「いわゆる菅派閥のようなもの」という風に非常に近き存在としてカテゴリーされてきた。
梶山は第4次安倍内閣では国務大臣をつとめ、さらに菅原一秀経産大臣辞任後の後任にとして経産相の座に就き今に至っている。
菅内閣成立を前提に、順風満帆の菅がいま描いているのが、9月解散だ。
自民党は、9月18日から3日間で情勢調査を開始し、この結果が望ましいものであれば、即時解散するというものだ。
翌週の9月25日(金)に再度招集。総理所信演説と代表質問を行ったあと、9月30日解散、13日公示、10月25日投開票で選挙に踏み切る公算だ。
「新聞の情勢調査では、自民党支持率が跳ね上がっている。一方、立憲民主の支持率はダウンしている。そして、今の菅人気ムード……。いい材料が揃っている。こんな風はめったに吹かないんだから、とにかく早くやったほうがいい。電光石火のごとくにね。
特に麻生氏が“早くやったほうがいいぞ”と急かしている。麻生は第1次安倍政権の退陣以降、福田、麻生と言う流れで総理を引き継いだけれど、支持率はただ下がる一方で迷走したトラウマがあるからね」(自民党関係者)
過去を振り返ると、首相の突然の辞任に呼応する形で成立した政権はいずれも短命傾向にある。
小渕恵三総理の急逝をうけた森喜朗(2000年)。第1次安倍政権の首相辞任を受けて選出された福田康夫(2007年)。福田辞任後の麻生太郎(2008年)。いずれも約1年で政権を終えている。
これらの政権ではいずれも、緊急事態を口実にして、正式な党員による総裁選挙を経ず両院議員総会で総理が選出された。最初から正統性に欠けた総理でもあり、批判が多かった。
総裁選を経ず両議院総会で総理になろうとしている菅もそういう意味では同じパターンであり、菅政権も同じ轍を踏んで1年程度の政権で終わる可能性がないとはいえない。
ただ、ひとつ違いを挙げるとすれば、菅は彼らと違って親から選挙区を引き継いだ世襲議員ではない。
森、福田、麻生の三人の総理はいずれも二世議員であることが批判に拍車をかけたが、菅はダンボール工場での勤務経験など苦労話が国民からの共感を呼んで世論の反応は現状、好意的になっている。
とはいえ、支持率など脆いもので、今は良かったとしても今後政局がどう変わるかわからない。第1次安倍政権後の轍を踏まないためには、鉄は熱いうちに打てということなのだろう。この流れに乗って選挙で自民党が圧勝すれば、過去のポスト安倍政権とは違い、菅政権は十分な正統性をもった存在にすることができる。
「菅本人は、選挙区の情勢に詳しい。自分自身でくまなく見て情勢判断するのが得意な人だ。自ら勝てると判断すれば、勝負師として大胆な決断をするだろう」(ベテラン秘書)
すでに菅政権は始まっているかのように、動き出している――。
戦後政治を振り返ると、これまでも菅さんのように政権を陰で支えていた人物が、政治状況が予想外に一変したために、いきなり首相に就任したケースがいくつかありました。
たとえば、1974年に田中角栄首相が金権スキャンダルで急遽、辞任に追い込まれたときには、「クリーンさ」が評価されて白羽の矢が立った三木武夫首相(直前まで副総理)。1980年の大平正芳首相の急死をうけて発足した鈴木善幸内閣(同・党総務会長)もそうでした。さらにはリクルート事件が発覚後、1989年に竹下登首相の後を担った宇野宗佑首相(同・外務大臣)、2000年には小渕恵三首相の急病を受けて就任した森喜朗首相(同・党幹事長)も同様です。
ところが、こうした将来の総理候補とは誰も見ていなかった“番頭出身者”の政権は、これまでのところ、結果として軒並み混乱や悲劇を生んでいます。
三木内閣はロッキード事件の余波を鎮められず政界の大混乱を招きましたし、鈴木首相は日米同盟について「軍事同盟ではない」と発言したことなどで、日米関係が著しく悪化しました。宇野首相は女性問題でわずか69日しか在任せず、天安門事件や冷戦終焉という世界情勢の激動の中で、日本という国の進路に多大な悪影響を与えました。
森政権も成立から終焉まで危うい「低空飛行」が続いたのは記憶に新しいところです。しかもその間、「加藤の乱」という自民党の大きな内紛も起きました。少なくとも、こうした歴史を紐解いてみると、「菅政権」の未来に不吉な影が射しているようにも見えます。
こうしたことを離れて、具体的に菅さんの弱点をみても一抹の不安がなくはありません。たとえば外交面です。菅さんの「外交デビュー」は昨年5月のアメリカ外遊。それまで外交経験はほとんど皆無なのです。これほど外交経験の少ない人が有力な首相候補になるのは珍しい。
激化し続ける米中関係に加えて、このコロナ禍と経済崩壊の危機。それ以外でも日本を取り巻く国際環境が激変している。早い話が、米大統領選でトランプが勝ってもバイデンが勝っても、国際情勢は大きく変化するはず。「それでも安倍路線の継承」とはいかない。その場合、菅さんの外交経験の不足は心配で、これは現時点でかなり大きなマイナス点です。
森友・加計学園問題でも安倍首相に対し追及の姿勢をとり、これまでの総裁選でも安倍首相と争うなど、石破さんは党内では長らく「反主流」派という立場を続けてきました。これまでの戦後日本政治では、長期政権が終わるときには、こうした「反主流」を貫いた人が新しい首相に就任しており、それが自民党の活力源にもなってきました。
1954年には、長期間、アメリカ中心の外交を続けてきた吉田茂首相にかわり、その間「反・吉田」を貫いてきた鳩山一郎首相が誕生し、日ソ共同宣言を批准してソ連と国交回復を成し遂げました。1972年には、7年8ヵ月にわたる長期政権を維持し、中国と距離を置く政策をとっていた佐藤栄作首相がやめた後には、田中角栄内閣が誕生して日中国交正常化が実現しました。
「主流」派が栄華を極めている間に、「反主流」派の立場を保ち続けるのは容易なことではありません。石破さんだけでなく、とくに安倍時代、干され続けた19人の石破派の政治家たちはみな厳しい立場にあっても節操を曲げず、石破さんの元を離れることはありませんでした。農林水産大臣を務めた齋藤健さんのように、一時は入閣し安倍さんに「一本釣り」されそうになったときも、政治家としての筋を通し、そのポストを取り上げられてもなお石破さんを支え続けてきた人もいます。「党内に味方が少ない」といわれることも多い石破さんですが、損得を離れてしっかり支えてくれる仲間がいるというのは、今の日本では特筆すべきことです。
石破さんには見捨てられた地方や弱い立場の人間に対して目を向けようとする姿勢があると思います。石破さんが防衛大臣だった2008年、海上自衛隊所属のイージス艦が漁船と衝突し、乗員2名が行方不明になる事故が起こりました。石破さんはこの事件の被害者の家に何度も足繁く通い、お詫びをし続けた。そこには大臣という立場を超えて人として「情」を大切にする姿勢が見られ、東京一極集中型の日本を変えようという、彼の「地方創生」の政策論にもつながってきます。
ただし、石破さんの欠点は地方創生以外にあまり具体的政策が出てこないこと。「内需拡大」という政策でもそうですし、外交・安保の観点でも、米中対立が進む国際関係において、はっきりとした姿勢を打ち出せていない。これだけ中国が暴走を続ける中で、いまだに「安保はアメリカだけど、経済は中国」という等距離外交に近い中立的な政策をとろうとしているように見えるのは、危ういことです。
昨年7月の参議院選挙、岸田さんの地元である広島選挙区は定員2人でしたが、すでにそのうち1議席は野党の指定席でした。ところが官邸の意向で「自民党の2議席独占を狙え」となって2人の候補を擁立しました。すなわち防災担当大臣などを歴任し、自民党広島県連の推す大ベテランの現職・溝手顕正氏と、安倍さんや菅さんと距離の近かった河井案里氏です。
溝手氏は岸田派の最高顧問でしたから、岸田さんは当然溝手氏を推さなければいけない立場です。しかし岸田氏は安倍総理からの禅譲による「ポスト安倍」を期待していましたから、総理の意中の人である河井氏をむげに扱うことも出来なかった。
結局、岸田さんは河井氏の選挙カーの上で応援マイクを握ってしまいました。溝手氏陣営は「2位でも構いません!」と街頭で悲壮に訴えましたが、最終的に河井氏が当選し、現職だった溝手氏は議席を失いました。岸田さんのこの、身内への「裏切り」は、政治家としては超えてはいけない一線でした。
思えば、安倍さんたちにいいように「使われた」挙げ句、土壇場でハシゴも外された岸田さんは、かわいそうではありますが、やはり昨年のあの応援マイクを手にとった瞬間に政治家としての限界を露呈していたのです。
もっといえば、岸田さんが安倍さんにいいように使われたのは去年の選挙だけではありません。2015年の「日韓慰安婦合意」を実現するなど、外務大臣も4年以上経験した岸田さんですが、あの慰安婦合意もアメリカのオバマ大統領と安倍さんが作った道筋をなぞっただけ。在任の4年間、岸田さんが外相とはいえ、その間は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げる安倍さんが自ら実質的な外交全般を担い、それに従うばかりの岸田さんは重要な場には出ることができませんでした。実際のところ、岸田さんに「外交経験がある」とは言えないと思います。
河野さんと言えば今年6月、イージス・アショアの配備断念を決断したときの姿が印象に残っている人も多いでしょう。もちろん、ミサイル防衛の代替案が決まっていない中での配備断念は、外交と安全保障の政策面で考えれば決して高評価の判断とはいえません。しかし、安倍首相自らが推進してきたイージス・アショアを、あえて押し返した政治家としての「胆力」には目を見張るものがあります。
また、今年の5月末、コロナ第一波の混乱の中、医療従事者に感謝と敬意を表して国民こぞって「連帯」の姿勢を見せようと、防衛大臣として航空自衛隊のブルーインパルスの出動を決断したことも印象的でした。日本では賛否両論ありましたが、国民の統合を重視する欧米では当然の決断です。コロナ対策をめぐって分断が続く日本の社会状況下で、河野氏がリーダーシップを発揮したことは大事なことだったと思います。
こうしたリーダーシップだけでなく、政治家としての経験も豊富。首相にも果断に意見しながら、大臣として外交と安全保障の両方の経験を重ね、流暢な英語で国際社会にも多くのコネクションをもっている。私が会った欧米の外交専門家からも高く評価されています。
気がかりなのは、時には独りよがりにもなりかねない、その群れない性格。足の引っ張り合いが横行する典型的な「日本社会」である自民党では、敵を作りやすいタイプです。
ただ、その河野さんらしさを犠牲にしては意味がないのですが、今回の総裁選では所属派閥の領袖、麻生さんが「菅さん支持」を表明したことで、河野さんは出馬を見送ってしまいました。かつての小泉純一郎首相のように「親分」の言うことを聞かず、勝ち目のない状況でも総裁選に出続ける姿勢こそ、従来の河野さんのキャラクターだったはず。ここで派閥の論理で動いてしまったことは、彼にとってむしろ大きなマイナスになるのでは、と思います。
コロナ禍の対応のみならず、経済の大幅な悪化、そして暴走する中国と激化する米中対立……。日本はまさに非常事態にありますから、胆力もあり、外交と安全保障の経験もある河野さんは、最前線で活躍しなければならない政治家の1人。次の総裁の任期は1年ですから、その次のチャンスに真価を発揮できるかが問われることになります。
今回の総裁選では、主要派閥の重鎮が推す菅さんが優勢だと伝えられています。「平時」の首相を決めるのであれば、これまでのように自民党の長老たちが党内の都合や力関係で決めても、「所詮、そうだろうな」と思うだけでしたが、今回は少し心配です。
いま日本は歴史的な「有事」に襲われています。このようなときに平時の感覚で、年齢を重ねた候補者の中から首相を決めるべきではありません。
立候補を表明している菅さん、石破さん、岸田さんは、いずれも還暦を過ぎています。安倍首相は持病の再発というある種の「体力問題」で辞任に至ったわけですから、まず何よりもこの非常事態の激務にも耐えうる体力と若さを持ち合わせた人が国を引っ張らないといけません。
フランスのマクロン大統領のように、世界を見れば若いリーダーたちが数多く活躍しているのです。もちろん、若ければよいということではありません。たとえば、世論調査で人気のあった小泉進次郎さんは、環境大臣就任後、国際会議の記者会見ではっきりとものが言えず立ち往生して、国際的にも国内的にも株を落としました。しかし、いまはそこから立ち直り、環境大臣として経済産業省を説き伏せて、石炭燃料問題に道筋をつけました。その後は、地球環境問題についても思い切った発言が出来るようになりました。体力以外にも、こうした「伸びしろ」が、今回出馬表明している3人には見当たらないのです。
コロナ禍が突きつけた安倍政権の限界は、自民党の「長老支配による政治」の限界でもあります。日本を取り巻く厳しい国際情勢に対応し、他国と互角に渡り合っていくためには、河野さんや進次郞さんといった若い政治家が先頭に立つべきなのです。それこそ「河野太郎首相・小泉進次郎官房長官」くらいの人事で国を動かしてもらいたいと思っています。
「イージス・アショア」の配備をめぐり、政府は、迎撃ミサイルを発射する際に使う「ブースター」と呼ばれる装置を安全に落下させるためには、ミサイルそのものの改修が必要だとして、ことし6月、山口・秋田両県への配備を断念しました。
これについて防衛省は、配備を断念した経緯の検証結果をまとめました。
それによりますと、当初、迎撃ミサイルを発射する際に使う「ブースター」と呼ばれる装置を安全に落下させるためには、ソフトウエアの改修で対応できると判断したものの、アメリカ側との協議を経て、ことしの早い段階には、ミサイルそのものの改修が必要だという懸念が生じていたということです。
しかし、河野防衛大臣に報告したのは、数か月後の6月に入ってからで、これについて防衛省は「正確に報告するため、技術的な裏付けに時間がかかってしまった」としています。
河野大臣は「省内の上下と横の情報共有のあり方について、真摯に取り組まなければならない」と指摘していて、防衛省は、省内の報告や情報共有のあり方を見直すことにしています。
「Go Toイート」では、これまでに33の府と県で購入金額の25%分が上乗せされる食事券を発行する事業が決まっていて、早い地域では今月中にも始まる見通しです。
こうした中、政府の分科会では、「Go Toイート」の実施にあたり、感染を予防するための要件を議論し、提言としてまとめました。
それによりますと、利用日や利用時間帯を分散させる取り組みを求めたうえで、参加する店舗に対しては、間隔を空けて座席を配置することなどを徹底するよう求め、実際に行われているかは、インターネットの評価サイトなどを活用して確認するとしています。
また、飲食の際は少人数で短時間とし、大声や過度の飲酒は控えるよう利用者に呼びかけるなどとしています。
さらに、感染状況ごとに分類した4つのステージのうち、感染者が急増している「ステージ3」と、爆発的な感染拡大が起きている「ステージ4」に該当する地域では、事業の実施を都道府県の知事が慎重に判断するよう求めています。
政府の分科会でまとめられた提言では、実施にあたって、会食による感染リスクを認識して事業者と利用者がともに感染予防対策をとるとともに、感染が起きた場合に、利用者を追跡できる体制を確保すべきだとしているほか、利用日や時間帯、それにスペースを分散させるなど、新しい会食の在り方を考える機会にすべきだなどとしています。
分科会のあとの記者会見で、尾身茂会長は、「『Go Toイート』を始めたあとで感染が拡大することも考えられる。ステージ3や4にあたる地域では、開始するべきなのかや開始したあとでどう対応すべきなのか、慎重に考えてもらいたい。店側が対策を徹底するのはもちろん、お店を利用する方々にも少人数で参加するなどこれまでの飲み会のスタイルにとらわれない、新しい会食の在り方を模索する機会にしてもらえればと考えている」と述べました。
東京都は5日、午後3時時点の速報値で、都内で新たに181人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。1日の感染の確認が200人を下回るのは2日連続です。
都によりますと、感染が確認されたのは10歳未満から90代までの男女合わせて181人です。
都内で1日の感染の確認が200人を下回るのは2日連続です。
年代別では
▽10歳未満が10人
▽10代が10人
▽20代が37人
▽30代が37人
▽40代が35人
▽50代が24人
▽60代が13人
▽70代が7人
▽80代が5人
▽90代が3人です。
これで都内で感染が確認されたのは合わせて2万1656人になりました。
一方、都の基準で集計した5日時点の重症の患者は4日より1人減って27人でした。
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